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2022年10月22日土曜日

10月20日 上皇后様の米寿の誕生日

 10月20日(木)I happened to be born on the day of Her Retired Majesty 's 7th birthday

特別な日であるこの日は「国際ソロプチミスト日光」主催のチャリティーゴルフコンペが鬼怒川CCで開催された。恒例のコンペで初回から参加し続けている。今回は偶然にも私の誕生日にぶつかり、夫にも参加を勧めた。アキレス腱を2年前に切ってから、調子がなかなか元に戻っていないのだが、健康維持のためにもゴルフ熱は冷めていないので、参加を勧めた次第。秋晴れのゴルフ日和に恵まれ、90名もの参加者で溢れた会場は健康そのものの雰囲気。私のプレイメイトは篠原悦子さん、福村氏、真野氏。男性二人は72歳と80歳。二人とも相当やってきた人で、飛距離も凄いし、アプローチもいいし、パットも良い。コンペは前半のハーフのスコアだけが対象になっているので、前半にエンジンのかかる人は強い。私の最近のドライビングショットは良くない。高く上がらず、転がっていくことが多く、修正出来ていない。スコアはネットが良くなくても、新ペリエ方式でハンディーを出すので、運が良ければ、上位に組み込める。今回はまさにラッキー続き。グロスでハーフ49だったが、高いハンディーを貰って飛び賞にあたり、果物セット+マンゴープリン半ダースをゲット。女性の部で10位とかで(主催者の女性担当者から、お誕生日おめでとうございます!と祝辞を添えていただいたので嬉しかったが、これは単なる飛び賞の賞品だった!)金谷ベーカリーの食パン2斤と参加賞の玉子2パックをいただいた。夫も12位とかで、バウムクーヘンの大きなケーキをゲット。おかげで、温泉にも入って意気揚々と帰宅したのはいいが、賞品やら、カバンの積み残しをやって、もう一度クラブハウスまで取りに行くという失態をしでかしてしまった。(笑い)何にせよ、賞品をいただくというのは気分を高めてくれる。81歳の誕生日はかくしてゴルフ場での幸運に出会ったことがいい想い出になることだろう。

その前に、前日の夜、夫からプレゼントが渡された。「明日のゴルフに着て欲しい」と言って、深紅のカシミヤのベストが目の前に。ゴルフの時はブライトなカラーが良いと強調。赤は私の好みの色なので抵抗は皆無だが、残念ながらサイズが一寸小さすぎる。それでも、夫は伸びるから大丈夫とかなり強引。ありがたくいただいて当日早速着用。クロのアンダーとパンツに深紅のベストは映えた。後で、プレイメイトの悦子さん曰く。「今日は決まってる!」と思ったそう。81歳の晴れのゴルフウエアとなった。後日、スタート直前に撮られたフォトが届くらしい。

2022年10月15日土曜日

旧友との食事会

 10月12日(水)夫の大学時代の同期生ご夫妻との食事会

7月27日に前夜から泊りがけで我が家に来られた山田氏とゴルフをやってから2カ月半経った今日、その返礼ということで山田氏ご夫妻から私達を日比谷の帝国ホテルでのランチにお誘いいただいた。7月7日にEECCの企画、インドネシア大使館訪問以来だから、3カ月ぶりの東京である。東京はどんどん改造されているが、このあたりはまだ変わっていなくてホットする。夫は所要で2日前に上京していたので現場で落ち合うということであったが、小一時間予定の時間より早く着いたので、日比谷公園を散策。Go to travel campaignが再開されたせいか、人々の動きが活発になっている。観光バスも列をなして止まっている。花が咲いていないこの季節は一寸さびしい感じだったが、二重橋あたりはジョギングする人もいて、人の花盛りといったところだった。

予定の11時に5分遅れてホテルに到着。既に、山田ご夫妻と夫が待っておられた。夫人とはかれこれ20年振り。ノルウェーから帰国して大阪に1年勤務からだから正確には17年振りかも。この年代になると健康が気になるが、こうして元気で再会出来たことを喜び感謝するだけ。とはいえ、彼女は脚腰を痛めていて立ったり座ったりする時が難儀だとのことで、お住まいの千葉からわざわざ出かけて下さったことに申し訳ない気持ちであったが、以前、ノルウェー勤務と時には、令嬢もご一緒に私達を訪ねて下さったこともあり、気心知れた仲間なので、話は盛り上がって大変良い時間をご一緒出来た。帝国ホテル38Fでのビュッフェランチはなかなかのもの。ここも今回は大盛況となっていた。食事中の写真を撮りそこなって、とりあえず、記念撮影だけにいなったが、次回の「麗しの越中島」仲間とのミーティングはここを推薦してみよう。(時間制限があるのが難点かな?)


2022年10月11日火曜日

半世紀+振りの再会

 10月9日

ボストンのフレッチャーで夫の同期だったリックがアリソン夫人共々初めて日本を訪れた。グループでの観光旅行に加わっていて日光迄来る時間が無いというので、私達は彼らに会いに東京まで出かけた。夫は卒業以来初めての再会であり、私はお会いしたことが全くない。彼らの再会がどんなことになるか、楽しみであった。半世紀は大きい。若々しい青年が一挙にお爺さんになっているのだから無理もない。ロビーの椅子に座って夫とっ待って居た時、エレベーターのドアが開いて、中から不審げな細い声が聞こえた。”Masao❓” 立ち上がった我々に向かって恐る恐る近づいてくる老夫婦。お互い、”Masao?” ”Rick?” と確認し合って、やがて声はクレッシェンドになり、”Oh!Yah!” ”My goodnenoss!" あとはゆるやかに、しかし、お互い別々の世界で幾星霜を過ごして積み重ねた異なる経験の報告へと一気に走り出す。予め夫が探した彼らが喜びそうな眺めの良いレストランを予約しておいたので、そこへ移動。雨の中ではあったが、東京の街を歩くのも良かろうと地下鉄で15分。品川のプリンスホテルへ。38F の和食レストランに案内。メールでは時折、情報交換をやっていても、対面となると趣が違う。学生時代に戻って、当時の仲間の思い出やら、近況やら、懐かしい話で盛り上がった。アリソンも名門ス三スカレッジ出身で才媛だったのだろう。心理学を専門にしてキャリアウーマンだった。彼等は歳相応に、動きが少々遅くて健脚では無い様子だったが、頭脳は明晰。彼の方は、Boston GlobeやWashington Postなどでデスクをやった人。同期で記念の文集づくりなどではまとめ役をやっていたよう。お互い3人の子持ちであり、孫の年齢も近い。同じ世代の話が出来てしゃぶしゃぶcuisineに舌鼓を鳴らしながら、又、冷酒をいただきながら、楽しい再開の一時を過ごすことが出来た。彼等の日本観光は14日間で昨日成田に到着したばかり。まだ時差ボケをかかえていて、かなり、疲れていたに違いないが東京で54年振りに再会出来たことはミラクルだと言って喜んでいた。夫は数日前から所要で東京に来ていたが、私は今日の昼に日光から合流。これで、又会えることがあるかどうか。名残惜しい別れとなったが、今はメールで交信できる。いつまでも元気で近況報告が出来ればと祈って別れた。

帰宅したのが夜の12時前。実は、帰路が大変だった。東武で車と車両の事故で電車がストップしていたため、急いでJRに変更。最終電車に間に合わなかったら宇都宮に泊まるしかない。祈る気持ちでいたおかげで、宇都宮からの日光線の最終便(10:48)に間に合った。やれやれ!翌日はコーラスの練習日。しかし充実した特別の日であった。

2022年10月9日日曜日

救急救命ドクターによるセミナー

 「重症コロナを語る」by 小倉崇以 救急救命センター長(39

       at 宇都宮総合文化会館 会議室1(3F

          on October 8th 2022

  つい2日前には奥日光の歴史に基づいた「いのちのゆくえ」というシナリオ原作を読んで感動したばかりであるが、今回は貴重な講演というより講演者から大きな感動をいただいた。

  現場の生死をさまようコロナ患者をケアする医療チームの奮闘はまさに緊迫感に溢れ、メディアでは報道されない部分も見ることが出来た。家族との接触を絶たれて逝くという悲惨な状況をもたらすコロナウイルスの恐ろしさを画像から再認識した。

 今日のセミナーはこれだけではない。講演者の生き様である。コロナに立ち向かう様子には悲壮感より、迷いのない判断と常に前を向いてテキパキとチームの真ん中に居て指揮をとる姿には活気すら感じられる。

小倉先生のリレートークに書かれた先生の宣誓書とも思える1枚のA4の中にこう書かれえいる。

“「・・僕は一流の救急科医になりたかった。今でも、強く、そう思っている。一流と二流の差、それは何だろう」

 確かに知力は人々に安心と安堵を届ける。・・知識人に聞けば、懇切丁寧に正解を教えてくれるから、人々は安心して一歩を踏み出せる。しかしながら、正しいも間違いもわからぬ未開の地に踏み入って未来を模索しようとするとき、その知識人の無力さは、見るに堪えない。未開の地には「正しい」も「間違い」も存在しない。知っているだけでは波乱の人生を生き抜くことは不可能であり、「正誤の判定」だけではよりよい未来への到達など、出来やしないのだ。

 ここで本論に入る。

 一流の人間は希望をもたらし、二流の人間は不安を煽る。一流と二流の差は常にそこにある。一流の医師は、現場で命と必死に向き合う。二流の医療者は、現場の医療に正誤の裁断を下して満足する。一流の人間は、理想を追求し、その生業を眺め、適切なコメントを残して帰る。一流は常に眼光鋭く表舞台に立ち、二流は常にその舞台に立つ人物を批評し、寝床につく。“

 これが書かれたのが2019年4月、イギリス、ケンブリッジでエクモ(Extra-Corporeal Membrane Oxygenation)の勉強をして帰国し、救命救急医療の道を決意したばかりの時である。先生はイギリスからエクモを持ち帰られた。重症患者搬送チームを立ち上げ、医療装置のついた搬送車を開発し、Ecmo Transportを栃木県から発信されたという。コロナは死ぬ病気と思われるが、救う手段はある。欧米、中国と比べてコロナ対策機能が日本は40年遅れていると断言された。

先生の語り口には迷いが無い。フロアからの質問の数々に、分かりやすく、ブレの無い答えが戻ってくる。この質疑応答から見えたもの。それは先生がこの若さで、いや、若いからこそ、理想郷を持ち、医療に携わりながら、世の中、栃木県を栃木県民が平和と安心の未来像を見すえておられること。良い病院は良い街に生まれる。街づくり、それは教育である。人材を育ててこそ、良い街は生まれる。

一流救命医に憧れる先生の文章はまだ続く。

これからも一流を目指し前進し、一流の人間を育てるために、豪快に生きようと思う。これは根性論ではない。根性論は青春時代の産物であり、酒を飲み始めたその時から、根性論は過去の遺物となる。一流の仕事とは、細部にまで目が行き届いた様を言う。一流の仕事、そこには神が宿っている。神は細部に宿るのである。 この春、宇都宮へ旅立つ自分へ。時は今。船出の朝である。

 

最後に先生が強調された言葉。それは病気を治すのは薬ではない。愛情である。人間が病気を治すのである。愛情処方という言葉が強く印象に残った。

2022年10月2日日曜日

9月総まとめ

 9月は猛暑と後半は台風(No12,13,14,15・・・)が続いて最悪の季節になったが、そんな中にあって、イベントが続き忙しい時期でもあった。

〇1日には夫の実家の甥の長男が義姉夫婦の店をリニューアルしてleather productsの店「Saetta」を開店。なかなかセンスの良いファッショナブルな製品が並んでいて驚いた。宇都宮からのピアニスト紘平君のママがご一緒で、私達が開店第一号の客となった。彼女も製品のセンスに好感を持たれて、いくつか発注。私は現物を2種ゲットした。親戚友人から贈られた胡蝶蘭が、若い職人の門出に豪華なエールを送っていた。

〇9月23日(秋分の日)には日光清風塾の月例講話会第101回目を開催。「文化と宗教」今国会では宗教問題が騒がれているが、宗教とは関係なく、文化は宗教を背景には語られないということがテーマ。古代ギリシャ・ローマからヨーロッパ文明の基盤となるキリスト教、更に世界中の進んだ文化文明を吸収して高度な科学技術、数学、航海術、医学などを発展させた中東で誕生した勢いのあるイスラム教、インドで発祥し、アジアに広がった仏教の流れを要約。お互いに大変影響しあって発展し、今日に至っているということを再認識。日本の文化文明もこれらすべての要素と影響し合って発展していることを確認。学問の分野のみならず、芸術、文化の面での影響は大きい。法隆寺のエンタシス、茶道の袱紗等。

〇9月25日(日)東京からMIS(Multilateral Interaction with Students)グループの学生4人(一人は名古屋から車で直行)と宇都宮大学生が1人が昼頃我が家に集結。今回が2回目。懸念された台風に影響されることなく、無事にBBQ実施。前日に矢板の佐藤先生から調達した鮎を網で焼き、骨付き鶏もも肉は予めオーブンで焼いておいた。後は例によって、稲荷ずしとサラダ、ゆばの一品を用意。2時からシンガポールのカルビンさんとインターネットでの議論を約2時間。その後もいろいろ今後のアクション相談で結局彼らは7時ごろ帰って行った。東京組は名古屋からの学生の車に便乗して東京へ。連休時だったのでかなり時間がかかった由。

〇9月27日(火)宇都宮総合文化会館で夜7時からの宇都宮YMCA主催によるウクライナ避難民支援チャリティーコンサートに夫と参加。その前に、私は日中は鬼怒川CCでのゴルフコンペに参加。時間的に心配だった
が、問題なく6時の開場時間に到着。コンサートは大野紘平君と友情出演の田尻大喜さんによるもので、23歳になった紘平君とは思えない程どっしり、落ちたついた演奏運びは実に見事。演奏の技術は勿論、聴衆を盛り上げる二人のトーク力は相当なもので、会場は熱狂に溢れていた。純粋なクラシックではなく、ポップス、ジャズっぽい曲に皆親しみを感じ取っていたよう。いつかクラシック演奏もしっとり聴きたいと思う。
 
〇9月28日(水)栃木県ユネスコ協会連絡協議会研修会のホスト役として日光ユネスコ協会が主導でイベントを企画。
2年振りぐらいで奥日光の絶品ともいうべき風景を満喫。好天気に恵まれ、中禅寺湖の美しかったこと。日光山中禅寺立木観音に初めて入った。勝道上人が1本の桂の木で彫ったという11面、千手観音像は想像していたより巨大で圧巻であった。家族の事、親戚の事、世の中の動き、もろもろのことが、良き方向に向かうことを祈り祈願した。