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2021年6月25日金曜日

懐かしの越中島時代6月23日

 6月23日(水)

三回目のコロナ緊急事態宣言が21日に解除になった直後でもあり、私の虎ノ門病院行きに便乗して、懐かしの越中島時代トリオが久しぶりで再会、ランチを共にした。東京駅から直結した1分ほどのところにある、新丸の内ビル5Fのmaison Balzacが再開場所。素晴らしいロケーションに感動。目の前に東京駅がある。その右手に息子の職場がある。今はリモートで自宅で仕事をしているので、オフィスには居ないだろうが、とにかく、東京一の都会風景が望める。

3人トリオ、才子さん、啓子さん、そして慶子は、年に一度は会食するが、何度合っても精神年齢は変わらない。そろそろ話す内容を就活方向に向けなければならないのだが、まだ深刻ではない。コーラスで歌を歌うことが共通しているのがいい。才子さんは満身創痍と言いながらも歌を歌うようなソプラノでの話方は場を盛り上げてくれる。啓子さんは、心では泣いているのよと言いながら、明るく、息子さんの近況など話してくれる。みんな、前向きで、向上心があるのが素晴らしい。ご主人たちの家事手伝いは見事なもの。ランドリージョブが役割だとか。笑いと嘆きが入り混じったご主人談義はみんなと同じレベルかも。とにかく、ぺちゃくちゃランチでルーティンライフに一寸刺激が与えられて、貴重な時間が持てたことに感謝。二次会もやって、5時前に解散。私は、その足で多摩へ。先日の冷蔵庫の取り換えで夫がまとめたゴミの山を集積所に出すのがミッション。一泊してついでに障子の張替えもやって翌日に日光へ。上今市まで電車に乗って、歩きで小一時間の道をウオーキングの気分で帰宅。途中雨と雷に見舞われて、公園の公衆トイレに避難。ずぶ濡れで帰宅する結果になったが、即、シャワーを浴びて、気分は爽快。夫は例によって、フランス人と語学交換学習の最中でした。

Condolence June17'21

 6月17日(木)

悲しい日となりました。夫の実家を守る甥の伴侶が1年半の闘病の末、13日永眠。甥と彼らの4人の子供達の懸命な介護は立派で見事なものでした。1週間前に急変してそのまま天国へ召されてしまい、余りに急な逝き方に親族は驚き、落胆。しっかり者のお姑である主人の姉も、いつもより細身になったような印象を与えるくらい意気消沈していました。59歳という若さで逝ってしまったことが、残念でなりません。子供達も立派に成長し、孫も5人、これから自分の人生を生きようという時であっただけに、親族一同悔しい思いにうちひしがれてしまいました。美人で、働き者で、葬儀にあれだけの人達がお悔やみに見えて、その交友関係の広さに一同驚くほどでした。現実として受け止めざるを得ないものの、まだ、そこで、バタバタ動き回ってい
るような感じがしています。心からご冥福をお祈りいたします。

この日、我々夫婦は2回目のワクチン接種を終えて、斎場に馳せ参じた次第でした。


2021年6月18日金曜日

2021年6月17日 初めてのコロナワクチンの接種を無事完了

 日光市がワクチン接種予約受付をスタートした5月24日(月)、コーラスの練習が落合公民館で行われた帰り、12時過ぎに電話がかけ始まった。コールセンターにかけるより、ファミリードクターのクリニックにかけたところ、30分経過したころに繋がった。想像以上に簡単に予約が取れて一安心。1回目は5月27日。初めてのワクチンでもあり、少々不安はあったが、注射を打って下さるのはいつもの林先生。夫共々安心して打って貰った。あっという間に終わった。ただ、翌日に筋肉痛に見舞われる。かなり、痛かったが、翌々日には痛みも消えて副作用もなし。3週間後に2回目を受けることに。

それに先立つ5月16日(日)には、我が家のモッコウバラが最高の時に、恒例の夫の姉達を招いて、ヨテ義母を偲ぶ会を終えた所だが、その時、義姉から嫁の豊子さんの体調の話は無かったので、安堵していたが、1か月後の6月11日、危篤の報が入って驚いた。夫と即、実家へ駆けつけた。病院通いはしていたものの、基本自宅治療を選択した矢先のことであった。子供達4人が夫々仕事を休んで結束してこの1週間介護に付きっ切りであったという。私達が彼女に声をかけた時、すでに力が絶えていて、話したそうに口は少し動くものの、声にならない。閉じた瞼から涙が滲み出たような感じがした。1週間前までは元気に動いていたようだが、腹水が溜まり始めてからは腹水を抜きに最後の方には東京まで自分で車を運転して病院に出かけていたという。そして、近場の徳治郎のクリニックを見つけてから、ドクターが訪問してくれるまでになり、腹水抜きをやってくれたという。腹水を濾過して再びお腹に戻しいれるという医療技術を備えたクリニックは日本全国で16カ所しかないらしい。それが、急に容態が悪化し、危篤状態に。それから2日後、天国に召されてしまった。その日は、孫の一人が騒いでいて、「うるさい!」と声を出したという。やがて、痛みが来て、家族が痛み止めの薬を処方した後、大きく肩で呼吸をして、そのまま静かに吸い込まれるように逝ってしまったそう。昨年1月にすい臓がんが発見され、半年の勝負と言われていたことを後で聞いた。家族のサポートがあって1年半元気でいられたのは奇跡に近い。癌が発見されていた時は肝臓にも及んでいて、手の施しようが無かったという。あの明るくて、子供達、孫達、家族みんなから愛された働き者で美人のお嫁さんが、来年還暦を迎える若さで亡くなったことが本当に残念で悲しい。

6月17日(木)の今日、朝一番に2回目のワクチン接種を終えて、告別式に参列した。昨晩はお通夜に。折しも梅雨時期の雨がシャワーとなって訪れた。今日は、告別式、斎場、墓地の流れて無事進行したが、全て滞りなく終わったところで、大雨に見舞われた。大きな悲しみがここでストーンと留めをさされたような気がした。いつまでも悲しみの中で打ちひしがれることへの警告だったかもしれない。これから落ち着いていくと、悲しみの中にも、かつてのなつかしい想い出がじわじわと蘇ってくることだろう。残された家族が元気で生き抜くことが何よりの供養になると信じている。心からのご冥福を祈ります。  合掌