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2010年12月23日木曜日

今となれば作日になってしまったが、宇都宮のホテルでのチュニジアの駐日大使との昼食会に夫婦で招かれて久しぶりに現役時代を想い出す経験をした。どこの国の大使も勉強家で話し好きで常に本国の国益を考えて人との付き合いを重ねておられるのがよくわかる。N.H.大使も日本への思い入れを熱く話された。チュニジアと日本が共通する点を指摘され、チュニジアが日本を尊敬されている理由がよくわかった。チュニジアはかつてカルタゴがローマに破壊されたところであり、日本は原爆で広島、長崎を破壊されたという両国とも、戦争の犠牲を負っているがそこから両国とも立ち上がってきた。天然資源は無いが、ヒューマンリソーシスが財産となって国を復興させてきた。チュニジアは小国だが、価値観は同じ。日本は強くなってアジア近隣諸国を助けて繁栄への道を作り上げた。更にODAの下、チュニジアにも沢山の援助を与えてくれて、かつての宗主国フランスよりその規模は大きい。日本に対する感謝の気持ちがにじみ出る話をされた。だから、1993年当時、日本が安保常任理事国になれるよう運動した時、アフリカではチュニジアがまず手をあげてサポートしてくれたのである。当時、国連日本政府代表部に赴任していたことから、夫がその話を始め、チュニジアの親日的対応に改めて感謝する場面があった。1954年に独立し、2年後に初代の駐日大使が天皇陛下に信任状奉呈をした際、昭和天皇がカルタゴと広島の話をされたのだそうだ。それが大変印象深かったというお話である。とにかく、一貫して日本を信頼し尊敬されていることが良く分かった。更に、今世界が大きく変わって行こうとしている時、日本は、近いアジアよりも、遠いアフリカを見て、力を与えて欲しいという願望も見えた。短い昼食会(大使は午後、小山で講演会があるということで、このホテルの会長とお知り合いということから宇都宮まで足を伸ばされたということであった。)の時間に内容のある友好的なお話が聞けて大変勉強になった。同席された方々も内容のある会話に参加出来たことを大変喜んでおられた。小林シェフのフランス料理は素晴らしい。レストランは盛況であった。残念ながら車の関係でワインが頂けなかったのが悔やまれる。

2010年12月22日水曜日

Something unusual happened yesterday. My awakening wasn't so agreable and I canceled my entry for the monthly competition at the Harel. My decision was right. I was obliged to stay in bed all day long suffering from several diarryea and vomiting. I had no stomachache, no headache, no pain, no feaver at all, therefore I rather enjoyed being lazy with no appetite at all. I just kept sleeping on and on. And this morning I was fine. My awakening was just agreable and I felt like doing housework. I had an appetite. I recognized I completely recovered. Then what was that? Very strange. Did I eat something bad? No, I don't think so. Affected by some bad virus? Well that is my style. One day I suddenly fall down and already recover next day. I am kind of easy woman.

2010年12月12日日曜日

PCの調子が悪くてkind of down状態。12月5日には、清風塾の第二回目の塾長による講話会があった。今回もタイミングを得てノーベル平和賞の由来、状況などホットな話題を織り交ぜてのノルウェーの話で、かなりinformative, instructiveであったと思う。今年も化学の分野で二人の日本人研究者、根岸教授と、鈴木教授が授与されることになった。テレビで、毎日のように報道されている。一方、中国では中国人が平和賞を受賞されることを知らされない状態だという。テレビもその話になると中断される由。いつまで続くのかわからないが、時間の問題という気がする。
Coincidentaly, on the same day when the Nobel Prize Awarding ceremoney was held, the Friday morning class of EECC held a yearend party which had been well planned. It turned well organized and everybody was happy to be able to communicate with each other so close. The classmates became open minded and I found they are all gifted in different ways. We are very happy to see them stepping forward to get closer to each other with a common target : to enjoy English conversation.

2010年11月29日月曜日

Another Indian summer day induced me to go up to Tamozawa old imperial residence to join a small concert entitled "Autumn Music Festival" sponsored by"InternationalMusicDay"memorial
event acting committee. It has 6 diferent concerts and Today's was the 5th one, one before the last. Today's program was by Dai Miyata, now most prominent rising cellist, only 24 years old. He was the winner of Rostropovich International Cello Concert held last year.Only because of this reason, I expected a very delicate rather nervous performance. However his way of conducting his performance was very at home and casual, which made the audience feel friendly and confortable. He intended rather to guide us so as to have a better understanding about the cello music world. His performance was mixed with his gentle talks. One more unexpected thing was the appearance of his mother who used to be his first teacher 22 years ago. She looked enthusiastic about children's education. What she said was very impressive. The parents must talk to their children a lot whenever they have a chance to talk to. What they feel about the nature, about human deeds, should be told in such a way to polish their sensitivity. I was able to feel there exists a good mental relationship between them. There exists a strong trust and respect between each other. Their duo concert was very charming and effective. Today's Indian summer weather gave me another beautiful present. I had one hour be-all and end-all.

2010年11月27日土曜日

あと11月も残すところ3日。美しかった紅葉も枯れ葉マーク化していくのが、毎日のウオーキング時に目撃出来る。あの燃えるようなエネルギーはどこへ?自然にも浮き沈みがあるように思えてならない。
 さて、アメリカから帰国して今後の仕事を慎重に検討していた息子から朗報が   入った。「やりたいことが出来る所が見つかった!」本当にやりたいことを目指して、3年前、日本での会社勤めをストップして一大発起で渡米し、大学院に入りなおしてMBAを取得。卒業後約一年、スポーツビジネスに精魂を向けてアメリカで仕事を経験したことがいよいよ生かされる時が来たようだ。やりたいことがやれるなんて、すべてに感謝せざるを得ない。      私も彼から元気を貰っている。自分がインヴォルブしている地域の活動が今年は特に忙しく、でも、充実しているように感じている。清風塾の会報づくりに足を一歩前に踏み出すことが出来た。やはり勇気である。強力な協力者が身近にいながら、なかなかゲットー出来ないでいた。活動をしている内に、出会いを重ね、願いが通じていくのが今回は良く見えた。いろいろ今までとは違った観点から物を見ることも学ぶことが出来た。三人寄れば姦し娘では無く、文殊の知恵をつくづく実感した。Mさん、Oさん、感謝します。12月1日を発行日として既に出来上がり(写真も織り交ぜた編集をやり遂げ、コピーだけをプロに。A3を両面印刷して1枚30円。二つ折りの4頁に仕上がり)手渡しと郵送を仕分けして、殆ど手配出来た。更に英会話クラスEECCも佳境に入って来ているのが嬉しい。何といっても、皆が口と心を大きく開けて楽しく続けているのに励まされている。更に、ユネスコの方も、慌ただしくなっている。来年2月に開催することになっている記念事業へ向けての段取り、交渉などなど。一緒に仕事をしていると、いろんな才能を発見する一方で、個性、人格も見えてくる。人が織りなす社会は陽あり陰ありで面白くもあり、シビアでもある。                                      目標は一つ。人生貪欲に。いろいろなものに出来るだけ沢山触れ、出来るだけ多くの夢を実現して充実した豊かな人生を築くこと。結果的に、自分だけではなく、
周りをもインヴォルブして行くことになると信じている。最近我が家の3人目の娘、ミーちゃんが人間化してきているように思えるのだが(笑)。彼女これでも御年18歳。

2010年11月16日火曜日


我が家周辺は秋真っ盛り。朝起きてまず目に入るのが窓からの秋色の眺めである。今年の夏は狂ったような暑さが続いたから紅葉がいまいちなんて誰からともなく懸念の声があったが、自然は悠然とその時期を認識し、自分の出る時を心得ているかに見える。文化の日の頃の輪王寺の逍遥園は見事に秋の力を発揮して、観光客を喜ばせていた。今は我が家の並びにある東照宮の晃陽苑が、紅葉園と言う方がぴったりなほど美しい景観を与えている。入口にある各種モミジ、落葉樹、松などが美しい色のコントラストを生み、気品のある空気を醸し出している。我が家の庭も負けてはいない。夏にも比較的小さく淡い色の花を咲かせていた薔薇がこのように大輪の花を咲かせている。内庭から外庭へのくぐり口の上に鎮座して紋章の風格がある。自然の力と恵みに感動する日が続いている。

2010年11月8日月曜日

同期

一昨年から参加し始めた高校の同期会が今年は松江で開催された。26名の参加者というのは一寸少なかったが、それでも半世紀振りに再会した同期もいて、結構ドキドキものであった。 「えっ!あなた、K子ちゃん?うそっ!」と言われた時は、どう解釈すべきか戸惑ってしまう。しばし唖然とした時間を経て、お互いに爆笑して開き直ってしまう。年齢による変化なのか、印象の変化なのか。どちらでもいいとしよう。ともかく、当時は全然話もしなかった仲なのに、半世紀の人生経験をしてきて、こうして一堂に集まると、同じ学校で3年間、多感な時代を共有したというだけで、心を開いて語り合えるのが同期会である。当時の私はおかっぱのがり勉というイメージだったことが分かった。本音と建前がすでにあったことを知った。本音は、アウトドアタイプ。受験時代に染まっていたというしかない。「こうして、今は本音で話せて嬉しい!」 アトラクションとして、川本からわざわざ江川太鼓として今や世界を舞台に活躍し始めている若者のグループ8人が大太鼓、小太鼓、笛、持参でやってきて元気なパフォーマンスをやってくれた。その中に、JETプログラムとして米国から英語の教師のアシスタントとして来ているジェニファーという若い女性の姿があった。思わず、演奏後、話しかけてみると、なんと、来日してまだ数カ月だという。それが、既に、こうして郷土のグループに加わって太鼓の練習に打ち込み、郷土の人達との熱い交流をやっていることに感動した。彼女にエールを送れて本当に良かった。日本の若い人達も彼女の姿勢を大いに学んで欲しいと願う。(大太鼓の前で演奏しているのがジェニファー)
Our alumni meeting (Kawamoto high school graduates in 1960) was held in Matsue this time. Matsue is located far west from Nikko, more than 1000km away, but I decided to join. Taking this opportunity, I was able to meet my second brother and his wife after 4 years blank. We visited our temple(Joukyouji temple) to talk to my parents who have been in a peaceful sleep there. My father passed away in 1983 when we were about to move to Kuwait, while my mother in 2005 just after my husband's retirement. Well, I appologyzed for my non-visit for a while, but they must be happy to know that we are all in good shape involving in works and volunteer activities. I feel they have always been watching us how we are doing. In November, all the gods in Japan gather in Izumo (Matsue's neighboring city), a sacred place and all other places become without the gods. That's why they call November Kannazuki(month without the gods), while in only Izumo they call November Kamiarizuki(month with the gods). They gather in Sata shirine in Izumo.
As for, our Alumni meeting, it was exciting and enjoyable to meet some old friends after a half century. We found ouselves quite aged. However, I would like to stand up to say aloud ;The old be ambitious! We are still energetic enough to create our genuine life after our retirement.

2010年10月31日日曜日

日光清風塾では毎月1回河合正男塾長による講話会を開催することになり、今回第一回目が支援センターで行われた。会場が一杯になるほどの参加者を得てこれからの活動が勇気づけられるものであった。9月から10月にかけて、中国の南京メディア大学とノルウェーのベルゲン大学で講義をしてきたことから、最新の当地の情報を交えて、国家間の友好ではなく、民間レベルでの草の根的交流の重要性を強調したものだった。真摯で誠実なおつきあいがお互いの信用を得ることになる。これまで、大連、上海でも講義をする機会があったが、全て教え子からこの交流が生かされ、続いているのであって、そこから、お互いの理解が深められるのだと思う。自分で切り開いていく道に塾長は何か使命感を持っているのが感じられる。現役を退いた今、自分のキャリアを生かしながら、まだまだ新しいことに挑戦している姿は楽しそうである。
The Nikko Seifu Juku has decided to conduct an open lecture by the head of the Juku, Mr. Masao Kawai, once a month basically on the first Sunday starting from November. As for November, the last day of October was set up for this occation in stead of the first Sunday. It was held at the cityzen support center. The room was filled with a big audience which encouraged us a lot. He talked about what he did and felt this time at the Nankin Media University in China where he gave some lectures for a week as well as at the Bergen University where he also gave one lecture this September. After retiring from the MOF, he has been exploring a new life to devote himself in deepening the friendship with Chinese people on the private basis, so called grass root activity, so as to get better understanding each other.
He keeps contact with his Chinese students who encourage him to be involved in teaching more in their country. He seems to enjoy this tough but meaningful challenge and exploring his activity based on his long career in the past.

2010年10月30日土曜日

台風14号が関東南沖に接近する中、予定通り日光清風塾の理事会が決行された。今回は理事会の前にソバ打ちの三段の保有者であるMr.K理事のご厚意で、ソバ打ちの体験を試みることになった。悪天候もあって集まりがいつもよりは少なかったがその分、手厚く体験が出来たようだ。初めてという人が半分で、挑戦出来て良かったようだ。名人は二段保有者の仲間二人のご協力を得て、手厚く他の理事達に美味しいソバ打ちの伝授をされた。皆が終わったところで、ご自分のデモンストレーションをされたが、1.5キロの二八ソバを45分で打たれたが、その手際良さ、手つき、リズム感、正しい姿勢あっての腰使い、腕使い、手、指使い、そしてその集中力、すべてがそれこそ無形文化財と言えるくらいのハイデグリーなもので感動した。心の入った美しい姿を見せて貰った。皆で試食して又感動。美味しいソバは打ち手の魂が入っている。マニュアル

2010年10月22日金曜日

3日前、娘婿が所属しているNPO法人ファザーリング・ジャパンの理事である小崎恭弘さんの「これからの時代の男性・女性の生き方」とサブタイトルをつけた「ワーク・ライフ・バランス」の講演を聴く機会があった。若くて明るい3児の父親であり、3人の子供が生まれた時、それぞれに育児休暇を取ったという人で、人生を前向きに明るいものにして行くという氏の思いが溢れる講演であった。関西弁というのが又良かった。父親育児が活発になっている背景、日本の父親の現状、男性のWLBの現状、父親が家事・育児ができない社会、働き続ける男性などなど、切り口をいろいろに変えて今の世相の悲惨な現状を分析しながらの話は面白く、娘達夫婦がまさに関心を持ち、実際に婿が育児休暇を取って奮闘しているのを身近に見ているだけに、説得力があった。父親に笑顔を持って貰うことが家族全体の笑顔につながると主張。仕事と家庭の調和をうまく取ることということだが、どうも一律に言い切るのも難し気もする。仕事に生きる人間にも魅力を感じるのはやはり古い世代なのだろうか。

2010年10月12日火曜日

日光清風塾で企画した「日光の秘境を訪ねる」を本日決行。心配していた雨に降られることもなく、まさに秋の小春日和の絶好のお天気に恵まれた。参加者14人はベテランの専門家による丁寧な説明とナビの下、至福の時を経験した。森林浴も植物や樹木、あるいはそこに生息する動物の習性などの知識を得てやると興味も湧き、感動も大きい。今回の目的は奥日光の隠れ滝を見ることであった。毎年、日光には百万単位で観光客が訪れているが、その中で隠れ滝を見る人は1000人くらいとのこと。余り知られていないし、一人では行けないところにある。興味深々であった。

赤沼9時発のエコバスでスタート。西ノ湖まで約20分。バスは定員オーバーで超満員。三連休の後のウイークデーなのに、

2010年10月7日木曜日



My husband came back home safe as scheduled from Bergen through Oslo with some new impressions on Norway. He sincerely recognized that Norway is distinctly one of the top class countries when it comes to its quality. He is sure to say that there exists a big difference between Japan and Norway. They seem to enjoy their asset and their well controled economy. The sound and well managed politics must be the most needed factor.

He met some of our friends there and shared a good time with them. It seems the big climate difference attacked him upon his return home. He found Japan is still summerlike compared to Norway where they are already wearing thick coats. After two big consecutive trips, he might need a time to adjust himself but he has no tome to rest. He has to get back to campus right away.

During his absence away in Norway, our son returned home from Florida with his wife. I went to Narita to welcome them back. They looked OK but exhausted after such a overloaded work upon their decision to leave America. Well, we are happy to have them nearby. He is going to find his new work to challenge in Japan to make the best of his experiences piled up in the States.

The next day was our grandson's sports day at his nursery school. It was his first debut in such an event (the kids 3 years old up are allowed to participate) and I joined his family to cheer him up. It was such fun and lovely. He kept smiling whatever he was doing, running or dancing.

2010年9月30日木曜日

It was on September 22 when my husband returned from China where he gave a lecture focusing on the mass-media in Japan and exchanged views with many Chinese students on a campus in Nanking. Then 4 days later, he flew to Bergen in Norway for an academic duty with the Bergen University. Taking this opportunity it is very fortunate for him to meet some of our Norwegian friends to share a weekend. My mind is also flying there to share the time together. It's appreciative for us to be able to keep our friendship on and on like this. Good luck to everybody, "Skull!"

2010年9月26日日曜日

9月25日(土)心配された台風も雨模様程度で大きな影響は無く、かねてから予定されていた「会津西街道ウオッチング」というバス仕立てのアウティングが決行された。よくあることだが、8:30出発というのが一人の大幅な遅刻によって40分もの遅れを余儀なくされた。担当スタッフの気持は察するにあまりある。
大谷橋を渡ってからR.461会津西街道に入る。バスの中で佐藤先生の説明が素早く始まる。懇切丁寧な語り口で始まった知識満載のバスツアーが予感され、私は心が弾む。コーディネーターの立場にある美保子さんの語り口も皆の心を和ませ、落ち着かせるもので、何故か安心して、おんぶにだっこ状態でいられることがありがたい。
●日光道中(日光街道)の沿線には、近辺の農民が集められ、軒割されて人が集められ、生活集落が形成された。大正時代、版画職人が銅板に当時の今市の景観を刻んだものがあり、そこに、会津方面に向かっては11本の道が、逆方向のお小来川、山久保方面には3本の道が描かれている。道の数からいって、いかに会津が大切な地であったかが分かる。
●田島と今市の太い関係は経済圏を築きあげた。今市の六斎市の話は貴重。1か月に6回も市が開かれ、田島からは農特産物、日用品、漆器などが運ばれ、今市からは塩を持ち帰って、冬場の為に、農作物の塩漬けに重用されたという。今では町の活性化を目的に、1か月1回の六斎市が有志の組織によって開かれている。今でも田島からの漆器職人が参加していて当時の名残ということがわかる。
●田島周辺の農民は、農作物を馬で田島まで運んでいたが、それが幕藩体制の下、田島を起点に宿から宿へ馬での物流が始まる。この仕組みを更に越えて田島から今市までつけ通すことをやり遂げるようになる。自家用の物を大きく流すことに目をつけたのが中づけであり、物流組織の元祖となる。
 (つけ通す=品物がより速く、より安全に、より物を大切に運び通すという意。)
ここから、会津西街道が人間愛と創造性が詰まった街道となり、農民の運輸業者が現れ、やがてそれが会社組織となっていく。この街道の立役者は、馬であり、沢山の馬を持つことが重要となる。馬を立てるという言葉があり、仔馬をとって育てて使う。つまり、馬を家族の一員として育て上げ働かせたのである。馬頭観音像が建てられている理由がわかる。

以上のことを頭に入れて、実際の風物、名跡をポイント的に見ていくというのが今回のウオッチングのテーマであったが、次から次となされる佐藤先生の充実したお話を聞きながらの見学は素晴らしいものであった。

2010年9月22日水曜日

尖閣諸島周辺での漁船衝突事件を発端に日中関係がおかしくなってきている。いろいろ予定されていた交流事業や会合が中国側の一方的な判断で次々とキャンセルされている。それを受け返して石原都知事が訪中をとりやめたという記事が今日の新聞に出ていた。
「あんな不愉快な国はいかない・・・私は尖閣に最初に灯台を建てた人間で、こんな中国に行くつもりは無い。・・」と報道陣の取材に答えていた。 これでは売られたケンカを買って出た反応に過ぎず、新しい政権の下、賢明な外交の努力と手腕が問われる。南京で講義をしていた夫からのメールによると、早速、学生からその問題に触れた質問が出たという。そういう質問を諌める学生の発言もあったとのこと。しかし、夫はその質問も受け止めて次のように答えたところ、大きな拍手が湧き上がったとのこと。避けないで真摯に問題の求心を共に考えることに学生達も納得したのではないかと思う。(でも勇気のいる対応だったに違いない。)「私としては中国の漁船が日本の海上保安庁の巡視船に体当たりをし、日本側がこれを逮捕したことが誤りだったなどと言うつもりは全くないし、中国側の主張にいささかなりとも理解を示す立場には無い。しかし、最も大事なことはもう二度と日中間で戦争をしてはならないということです。日中間で争うことになれば、両国だけでなくアジアの発展もなくなります。」
学生の質問の内容からして熱気にあふれる授業風景が想像出来る。中国の若い人達は日本に関心を寄せ、情報を得ることに熱心である様子がうかがえる。民主党の代表選挙までいろんな質問が出たようだ。とにかく日本の大学との大きな違いがそこに見えてくる。関心があるから多くの質問が出る。
今、夫は岐路に立ち寄った上海でいくつかの万博のパビリオンを見学し、間もなく帰国するが、今の中国の騒ぎの中、無事に帰ってくることを祈りたい。






2010年9月20日月曜日

昨日に続いて世界遺産大学の一連のイベントの最後のものとして、「結界譚ーKekkaitan」という上妻宏光(津軽三味線)野崎洋一(キ-ボード)によるダイナミックな音楽と麿 赤兜&大駱駝艦による前衛ダンスのコラボレーションを観劇した。場所は東照宮。五重塔前にステージが見事に 設置され、公演を待たずして、すでに幻想的な雰囲気が漂っていた。更に、雨がポツリポツリという気配でスリル満点の状況であった。観劇後は何とも不思議な世界に入っていたことに気付きながらも、深夜の眠りの中でも続き、5時頃目覚めてすぐこれを書き始めた。公演中は撮影禁止だったため、幕引き前の出演者がラインアップしたところをかろうじてカメラに収めた。

Last night I went to the Toshogu Shrine to enjoy a special performance which was initiated by the Comittee of World Heritage Theater sponsored by Rakuten. It was a coraboration of Music by Tsugaru Shamisen(a sort of Japanese guitar with strings originated in Tsugaru district in the north of Japan) & a Key board with 10 year career and Avan-Garde Dancing Group named Dai Rakuda Kan which has been very active and popular in and out of the country since 30 years ago. The stage was set up outside, in front of Goju no To(5 storied pagoda) surrounded by those big, tall cidar trees. The atmosphere was just beyond our world, very mysterious but elegant and dignified. The performance itself was dynamic and produced a space something different we experience in our daily life. It was mixed up with Do(Action) and Sei(Tranquility), Yorokobi(Happiness) and Kanashimi(Sorrow). Positive and negative feelings. Our life itself was well represented in those mixed movement. I got a very strange feeling and continued to keep it even in my dream until this morning . I realized that the prosperous Nikko has been protected by the saint mountains and that's why Nikko has a great mysterious power.

2010年9月19日日曜日

第四回世界遺産大学 「日光の社寺 自然と神々」という世界遺産劇場実行委員会と下野新聞社主催のイベントに参加してきた。17日には二荒山神社境内で浅野温子さんによる古事記からの読み語りが夜の幻想的な演出でなされ、続いて歌舞伎「連獅子」奉納があったようだが、私は18日に日光総合会館で行われた彼女の「天の石屋戸」の話の読み語り基調公演と彼女を含め、東照宮奥田権宮司、二荒山神社中麻権宮司、輪王寺鈴木執事総務部長、それに福田富一知事と5人のパネリストと下野新聞黒内論説部門主筆がコーディネーターとなってのパネルディスカッションに出席してきた。パネリスト達がそれぞれの思いを予めまとめてきた原稿を見ながら、理路整然と述べ、全体的に予定通り2時間でまとめあげられたのには洗練された印象を持った。
●浅野さんのキーワードは「語り伝える」で忘れ去ろうとしている古事記の話を7年前からやっていて二荒山神社での公演が60回目にあたるそうである。自然と人間の融合を崇め、古事記のテーマが家族愛であることを強調。日光山の信仰がまさに大自然の中での家族愛であることに気付かされる。
●浅野さんに最初から同行して古事記からシナリオを作成している脚本家阿村礼子さんのキーワードは「ものがたり」で、古事記の中に日本人の原点があると説く。
●福田知事のキーワードは「共生」。過去、現在、未来が共に生きていることを主張。世界遺産の意義を説き、行政の立場から実際の資金は出ないが、修復作業の縁の下の力もち的立場で言葉や文化の違いを乗り越えて感動してもらえるよう、観光基盤の充実を計り、自然と神々が一体化し聖地、すべてが複合した霊地の保存管理に協力していきたいと述べた。
●奥田東照宮権宮司のキーワードは「調和」。神域すべてがパワースポットなので55棟もの社が建てられている。家康の遺言により、彼を神として日光に祭られてから2015年には400年祭りを迎えるため、すでにいろいろなプロジェクトを立てている。彼の言う江戸幕府の安泰は日本の安泰であるという壮大な思いが調和に繋がっているということ。
●中麻二荒山権宮司のキーワードは「感謝」。大自然の恵みと神々の存在。そして先人の真心と知恵に感謝である。(安土桃山時代の30年間は空白であったという)男体山を開山して以来の宝物がしっかり保存されていて、信仰の変遷がよくわかる。
●鈴木輪王寺執事のキーワードは「今」でこの瞬間がすべてであるということ。全てのものに価値があり、それらを大事に一日一日を生活することと捉えるべき。二社一寺などと言うべきではなく、むしろ日光山として全体的に日光信仰と理解すべきである。神仏集合、複数の神々の信仰であり、神と仏の調和の中での人々の生活の営みが世界遺産として認められたのだと思う。無数の人々の生活が背景にあるということ。(ピラミッドや万里の長城と異なる点)鈴木執事は大変ユーモアな語り口で、親しみやすさを感じさせられた。さらに今やるべきこと、それは布教活動である。信仰心がなければこの世界遺産は無くなってしまうから。
改めて日光信仰のテーマを考える良い機会となった。

19日には東照宮五重塔前での「結界譚」地鳴りする上妻の三味に麿赤児が異形の群舞を繰り広げる大公演を観劇することになっている。

2010年9月12日日曜日


This is the first photo which arrived early this morning attached to an e-mail called "Letter from China". All the young people surrounding my husband were his students when he had a class in Dairen(大連)2 years ago. They all gathered in Nan-King to welcome him. He is going to give 4 lectures in Nan-king this time. He looks so happy to meet them and he seems to be very anxious and excited to challenge another new experience there.

2010年9月2日木曜日

Yesterday was the hottest day with the temperature 32 degrees even inside of my house located in Nikko. My discomfort index reached the highest this summer because of such a high humidity. After I gave a ride to my husband to the station (he went to Tokyo for several duties), I did a grocery shopping, droped in bank, other shops etc. taking quite a time. Then in the afternoon after coming back home, I found myself tired with no energy left. I took rather heavy lunch to cheer me up and decided to have a rest. I know this way is not good for diet but I was obliged to do so. And I have an obsession in my mind, that is to determin my life work . I know what to do but it takes a time for me to step out toward it. Well again, no hurry. I indulged myself in an easy-going way. . However, in the evening when the temperature was falling down, I suddenly went out into the yard to pick up weed and gave water to the flowers and lawn. Good work!

2010年8月21日土曜日


この二日間は少し凌ぎやすくなったとホッと一息ついたのに、
今日は又この暑さ。そんな中、夫はノルウェー人の友人D氏のイニシャチヴで我が家の目の前のコースに出かけて行った。彼は遠路東京からの遠征であり、もう一人、彼のお嬢さん(ベルゲンの大学生でj陶芸をやっている)が益子に来て益子焼をインターンシップでやったことから夫が紹介して知りあいになったまさに益子焼きの専門芸術家であるNさん(高校の同級生)が益子から参加。Nさんは最近体調を崩され調子が悪いと聞いていて、この炎天下でのプレイは大丈夫かしらと心配しながら、私は終わった後の我が家での食事の準備に励んだ。嬉しいことにコースは、そんなに暑くなくて大変ではなかったようで、Nさんもいつもと変わらない様子で安堵した。最後のロングホールはパーで終わって気分も上々ということで本当に良かったと思った。むしろ気分転換が出来て、元気を出されたよう。11月には又個展を開かれる予定で忙しくなるとおっしゃっていた。是非元気で頑張っていただきたい。
食後は、夫はD氏を案内して輪王寺での恒例の薪能鑑賞に。Nさんは車で一人帰っていかれた。
もう一つ、今日は夏の高校野球甲子園大会の決勝があった。沖縄興南と東海相模(原監督の原点)との対決は意外にもあっけない内容(13対1)。昨日の準決勝での地元明徳との戦いが余りに凄いもので(6対5で逆転勝ち)、ニュースを見ただけでも感動の涙が出るほどだっただけに、決勝は是非観なくてはと意気込んだせいもあったかもしれない。しかし、春にしろ夏にしろ全国高校野球大会は純粋で、力一杯戦う球宴であり、いつ観ても気持ちが良い。球児達の姿を見ていると日本を誇りに思いたくなる。今年は92回目だそうで、興南の監督はかつて同じ高校の野球部のキャプテンだったそう。何とも感慨深い話である。2か月前のWCで燃え、今回は高校野球。スポーツは本当に素晴らしい。

先日、我が家にホームステイしたドイツ人学生ガスパからお礼のメールが入っていた。無事帰宅して旅行を振り返っている様子。有意義な交流旅行だったということでとても喜んでいるのが嬉しい。良かった良かった!私達も得難い経験をさせていただいたことに感謝したい。

2010年8月7日土曜日

ホストファミリーの経験

  
とにかく連日のこの暑さはジャカルタやブルネイ時代を思い出させる。
避暑地である筈の日光でも今夏は格別の暑さである。それでも週一回はやることにしているゴルフは、朝のティーオフよりトワイライトプレーとかで格安料金で午後2時スタートするのが賢明ということが今回わかった。2時以降は、気温はむしろ下降していくのがよくわかるほどで、微風が加わると一層心地良い。 7月31日から5泊、ホストファミリーとしてドイツからの17歳の学生さんを預かり、無事次の目的地へと移動していく一行(10名)をお見送りした日の午後、一つの区切りとしてトワイライ トプレイをやってみた結果わかったことである。
(写真は我が家の庭先でのBQパーティー風景)
 ところで、日光に住み始めて、そろそろ4年になり、友人知人の来訪は続くが、ホストファミリーとして組織のお手伝いをしたのは今回が初めてである。37回目となる日独青年スポーツ同時交流の一行120人中、10名の柔道グループを日光市が初めて受け入れた。全部で13グループに分かれて其々異なる地域でホームステイをやるのであるが、柔道グループは群馬県水上市、日光市、木更津市の3か所でホームステイを経験し、最終的には東京で全グループが合流するのだという。日本からも同じぐらいの人数が其々グループに分かれて、ドイツのあちこちでホームステイを経験しているのだから、素晴らしい青年対象のプログラムだと言える。
 我が家に来たカスペルという高校を卒業したばかりの青年はこれまでにもアデレードやジャカルタやシンガポールにも一人旅をしたことがある旅慣れた青年で、柔道が大好き人間。4歳ごろから始めたという。今年中には黒帯を獲得すると意気込んでいた。話をしていてもしっかりもので自分の心情をきちんと表現出来る好青年であった。彼はこのグループの班長で、その上に23歳のグループリーダーがいたが、たまたま我が家の庭先でBQをやることになって、3人の仲間とそのホストファミリーが加わって有意義な一夕を過ごすことが出来た。リーダーに至っては、柔道の真髄をよく勉強していて今回の柔道練習の指導にあたった甥ともども驚き、感心させられたものである。カスペルは大学入学の資格を持っているものの、すぐに大学に行くことはせず、半年ぐらい社会に出て、自分の進路を見つけたいと言っていた。将来の目標を定めてから進路を決めるというのは、何となく大学に入って、何となく就職先を探すのとは大分異なる。いろいろ考えさせられ、有意義な夕べを若い人達と過ごすことが出来た。

2010年8月1日日曜日

I have been away from my blog for a while becuase of my dulness (not layziness) caused by the uncomfortable climate with the both high temperature and high humidity those days. I feel better now thanks to rather cool weather with the temperature below 30 degrees!

Yesterday the group of 10 young Judo players from Humburg in Germany arrived in Nikko from Minagami in Gunma pref.. The program is named "37th Deutsch-Japanischer Sportijugend Simultanaustausch 2010" That means they have been exchanging their activities since 37 years ago. The total number of the participants from Germany in this program is 120 which is devided into 13 groups according to the sport types. Judo is one of them and this time, Judo group consisting of 10 young people came to Nikko. Their visit to Nikko is realized for the first time in such a long history, which sounds a bit strange from the view point of the value of Nikko. Anyway it's a good thing for Nikko to be one of those communities welcoming them. Their homestay at some Japanese families is one of their programs to be conducted in Japan. Since one of our nephew has been involved in Judo activity and contributing himself to the community, we decided to offer a hostfamily to take care of one of them. Our assistant activity started yesterday to join the welcome ceremony and party held at Kirifuri Skate Arena sponcerd by the city of Nikko. All the athletes looked in good shape but bit serious and stiff. Well it was our first meeting.
Casper, 17 years old, is our family guest. He is a nice boy. We enjoyed talking to each other whole evening at our place. My husband and I were impressed by the way he talks with at his that young age of 17. Good communication with kind consideration to each other has already existed.

Today is Sunday but they have gone for the several programs including Nikko woodcurving experiment. We hostfamilies are supposed not to join all those programs except for giving them a ride back and forth between our places and the meeting places. Therefore I can keep EECC on today as usual. Tonight, after the dinner at home, we will take Casper to the annual big firework festival to be carried out by the city on the bank of the river Daiya. I's sure that all the participants gather there to be taken care by their hostfamilies each. We hope they have a good day today.

2010年7月11日日曜日

 世界中がうねるように歓喜と落胆で渦巻いたWorld Cupも日本時間で明日未明に決勝のキックオフとなる。我が侍Blueは、弱い日本代表だと言われ、当初は殆ど無視されんばかりに影が薄かったが、そういう時こそ何か起こると密かに期待していた私としては、この1カ月の心理体験は得難いものでした。野球やゴルフと違って、サッカーは瞬時にドラマが生まれる。そのスピード感とそれに反応する観客の純粋さがたまらない。負けると思われていた初戦の対カメルーン戦を制覇(6月14日)したことに端を発し、侍達は見事な試合運びを続けていった。対オランダ戦(6月19日)では、0-1というまさしく惜しい負け方をした。しかし、リーグ戦の最終戦となった対デンマーク戦(6月25日)では信じられないほどの力を発揮し、見事に3-1というスコアで快勝し、決勝トーナメントに進んだ時の日本列島の歓喜の波は沈下した日本を一挙に元気づけたほどであった。やはり勝負には勝たなくては称えられないという宿命がある。決勝トーナメントでの対パラグアイ戦では、無得点のまま延長戦に持ちこみ、PK合戦で不運な結果となった。ここで、敗者の民族性が問われるところだが、誰もキックを失敗したことを咎める人はいなかった筈である。勇気と元気と感動を与えてくれた侍達に皆が”ありがとう!”と叫んだ筈である。
 ここで、更に感動したことがもう一つある。それは侍達が帰国し、一連の祝杯ムードの中で、彼らの代表数人が皇居に参上し、天皇皇后両陛下から慰労と励みのお言葉を賜った時のことである。岡田監督が侍達全員のサインの入ったユニホーム(?)を献上したところ、皇后陛下が一心に見つめられた後、”これは駒野選手のでしょ?”と一つのサインを探し当てられたという。これは、決勝トーナメントでの対パラグアイ戦でのPK合戦で、ゴールに失敗した当選手の物凄い心痛への思いやりであり、祈りの表現であったと思われてならない。失敗した者へのいたわりの祈りであり、それは日本人を象徴する祈りだと思う。
 さて、明日未明は早起きしてのテレビ観戦である。スペイン対オランダの決勝戦である。4年に一度の世紀の感動を世界中が待っていると思うだけでもわくわくする。

2010年7月1日木曜日

先週の日曜日(6月27日)日光清風塾の総会の後、河合正男塾長による講演会が開催された。「私が夢見る日本の姿」という演題で約70分の講話であった。「最近の日本人が元気がないのは、日本という国の将来像がつかめないからであり、日本という国の将来像を示すのは政治の力である。マニフェスト選挙もよいが、どうもそれが与野党ともに選挙民受けのする甘い約束ばかりで、結果として予算のばら撒きとなり、財政赤字は拡大するばかりである。ばら撒きで恩恵を受けた人は、一時的に満足するかも知れないが、国民全体としては将来への不安がつのるばかりである。私は現在、大学で若い人達に講義をしているが、我々の世代の最後の仕事は、彼らに、日本という国に誇りと夢を持って彼らが活躍して行ける日本の将来像を示し、そのための制度作りをして行くことであると考えている。 」と言う語り口には塾長の熱い思いが感じられた。各論的にはアジアの人材育成、対米関係、高等教育の充実、集中的技術開発、年金制度、福祉政策、増税、政治の浄化などに言及。そして、世界の中でいかに今の日本が大変な危機に陥っているかを説明。総論的には世界における日本の立ち位置をしっかり踏まえて、アジア、さらには世界の平和と繁栄に貢献しようという高い志を持った、若々しいエネルギーを描き持った日本の姿が夢見る姿である。単なる理想論ではない。自らの国に誇りを持ち、勇気を持って臨めば実現出来る国作りであることを説いた。
今回は、総会とこの講演会の間に、一寸したインターミッションを設けて、白鴎大学の学生さんにピアノ演奏をして貰った。ショパンの幻想曲など、心がしっとりして、ロマンチックな小曲を3つほど弾いていただいた。二人の学生さんにはその後我が家に来ていただき、夕食を共にしながら、若い人達との新鮮な会話に興じることが出来た。メリハリのあるしっかりしたお嬢さん達に、私もエネルギーを貰った思いである。彼女達もこういう機会を与えて貰ったことに大変感謝していて、こういう若い人達なら、未来は必ず生き返ると嬉しくなった。合宿気分でお泊りして、翌朝、授業に間に合うようにと早々に小山に向かった彼女達を見送った時は、何か新鮮な旅立ちを感じた。

2010年6月24日木曜日

English version of the date June 21

Yesterday's big event was over safe! It wouldn't be more than enough to say that the success of the biggest event on June 20'10, naming the 3rd Chorus Festival consisting all choir groups in Nikko city, will be an unforgettable in my life. It was a great challenge for us, 200 members altogether, to perform Beethoven's No.9 "To Joy" in front of the public assisted by the Tochigi Symphony orchestra with 4 professional solists. We did it even without the text book. When we were annonced to start practicing two years ago, no body would have believed we would make it. All the German lyrics had to be memorized. There were thousands of corrections in both rythm and pronounciation. Sometimes we were derailed, out of tones, and discouraged. But we were anyhow directed toward the way it should be and it was only a few weeks before that we began to see a hope to some extent. We would make impossible possible! And I did it even with a confidence and a louder voice, very high and powerfull(beautiful?) soprano tone. This incredible success was brought by two able wonderful teachers(directors) who were patient enough and never threw us away out on the streets. Their great spirit and energy to produce a comfortable harmony completely captured our hearts to get as much closer to the target as possible and we got this Joy! Every member was excited and moved with tears in the eyes.
The audience of Imaichi Culture Hall in full capacity was so excited and waved. I have never experienced this joint exciting feeling before from the both sides, excitement from the audience and the one from the stage. And my husband was also involved in this big choir. The excitement gained in a mass play is something different from the one in individual play.

2010年6月21日月曜日

Our performance of "To Joy" on June 20'10
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大合唱

Women's choir group singing an original piece composed by a citizen to commemorate the birth of the new Nikko city unifying 5 communities around back in 2006.
昨日のビッグイベントは無事終了!第3回日光市合唱フェスティバルと名打って迎えた6月20日(日)は生涯忘れられないビッグデイとなったと言っても過言ではない。2年越しで練習してきたベートーベンの第九の四楽章(歓喜の歌)を公衆の前で発表するという大チャレンジである。日光市内の10ものコーラス団体が一堂に整列して200余名の合唱隊となり、栃木交響楽団からの20名弱の団員と4名のソリストの強力なサポート(本来は合唱隊が彼らをサポートすべきなのだが)を得て、暗譜した(筈の)ドイツ語で力強く高らかに歌い上げたのである。今市文化会館は満員であった。総論は大成功。各論を言えば、それぞれ、大なり小なり、リズムを間違えたり、意味不明の言葉を発生したりして精巧さには欠けたところがあったが、そんなことは問題ではない。とにかく、大声で、自信たっぷり状態で、楽しく出来たのだから大満足である。何より、歓喜の世界に浸ったのだから最高の感動であった。EECCからもかなり聴きに来てくれていたようだ。花より団子の差し入れがあったのも嬉しかった。そして、本日、パートナーの律子先生から美しい薔薇の花束をいただいた。も~う!穴があったら入りたいくらいなのに気分は最高。指導して下さった先生方の実力と忍耐強さに改めて感謝したい。今度はどこかから合唱のお呼びがかかってくるかも??!!
プログラムは合併して壮大になった日光を歌い上げた「永遠に」、各コーラスグループを4つに細分して唱歌の四季、つまり、春、夏、秋、冬を代表する唱歌をメドレーで歌い、更に、コーラス隊を再編して今度は国別ホームソングとして、イギリス編、ドイツ編、イタリア編と続く。最後はインターミッションの後、第九へと盛り上がっていくものであった。公演は午後2時からであったが、朝9時から衣装の着替え、入場、退場、全行程を完全リハーサル。リハーサルが終わった時は、本番が終わったような錯覚になったことも事実。それほどの力の入れようであった。汗びっしょり状態。
無理では?と半信半疑でスタートした練習であったが、不可能を可能にした驚きは忘れられない教訓となったことを書き留めておきたい。

2010年6月16日水曜日

6月16日(水)

水曜日はスポーツデイと決めている私に取って梅雨入り宣言は受け入れ難い。とはいえ、稲作にとっては大事な季節であり、我が家の庭の花々や木々にとっても恵みの水を労力無しでいただけると思えば感謝しなくてはならない。今日は予報通りの雨で始まり、止みそうになかったのでゴルフはキャンセル。ところが間もなくして青空が見え始めてきた。何というタイミングの悪さ。致し方ない。今回は車で5分の所にある市営ミニゴルフ場に行くことにした。アプローチの練習には最適な所と知りつつ、ついつい醍醐味がない為、遠ざかっていたので、むしろグッドタイミングというべきかも。

いよいよ今度の日曜日20日には日光市の10もある合唱団合同の発表会というか大演奏会が市の文化会館で行われる。初めての試みの中、「永遠に」(日光市オリジナルの壮大な歌)、「唱歌の四季」、「ホームソングメドレー(イギリス、イタリア、ドイツ)」、そして極めつけがベートーベンのあの第九の第四楽章「合唱」である。約2年の歳月を費やして皆、暗譜した筈?おじさま、おばさま達で編成されている大合唱である。2000人のオーディエンスを期待して最後の練習に励んでいるところである。昨晩もやり、今晩もある。そして前日の大リハーサルが19日にある。衣装もOK?目標があるということはストレスどころか、こうして参加出来ることに感謝して挑戦意欲をかきたてられている。昨日の下野新聞の県北版のトップに、この合唱団の猛練習ぶりの記事が出ていたことにより、この気持ちは高ぶっている。

アメリカはフロリダで昨年の12月から仕事を始めている息子のブログ http://tothedream-nari.blogspot.com/ を覗くのが楽しみである。昨日、久しぶりに更新されていたが、教育とスポーツを連携させたイベントにもインヴォルブされているようでアメリカならではのスケールの大きさ、明るさ、オープンさがあって、力強さを感じる。とにかく批評はいらない。アクションをとることを鼓舞される。彼のブログの冒頭にある言葉をいつも噛みしめさせて貰っている。

「Nothing ventured, nothing gained. Never put off till tomorrow what can be done today. Treasure every encounter, for it will never recur!! We have only one life so that I devote 100% to myself, to myfamily and to my friends. 」

更に、どこかで見つけた次の言葉が私は大好きである。

「Try very hard not to be dull. Whatever you do with yourself, do your best to be interesting and to make your life interesting」 Be anything but dull or boring!

島根県中央部にある私の心のふるさと川本町の役場から書類が届いた。最近の地図が同封されていた。地名をなつかしく蘇えらせながら昔を一寸偲んだところである。

2010年6月7日月曜日

ふるさと 

6月5日、五反田にあるゆうぽうとビルに初めて出かけた。JRに乗り入れている東武線新宿行き特急で新宿まで行き、山手線に乗り継いで所要時間3時間。日帰りとしてはぎりぎりの距離であるが、初めて川本会に出席して見た。島根県中央部の山間に位置する川本町を故郷に持つ、東京近辺に在住の人達の会合で、昨年組織変更して今年が二回目の総会ということだった。期待となつかしさで心を弾ませながらの参加であった。参加してびっくりしたことが二つ。一つは会のメンバーは数百人はいる筈だが、参加者は34,5名という少なさである。しかも初めてお会いするような人達ばかりで、自分から自己紹介して進まないと会話は無い。殆どが大学進学と共に、故郷を離れて行った人達であるが、やはり同郷のよしみというのか、話しかけて行くうちに共通の想い出があったりで川本OB会の様相となって行った。二つ目の驚きは、この総会にわざわざ川本から車、飛行機、電車に乗り継いで参加された方々が10名ぐらい来ておられたことである。町長さんを始め、町議会議長、商工会の方々、一般の人達(同期が二人)の一行である。当時8000人は居たであろう人口が今では4000人を切るまでに激減し、高齢化が進んでいる川本町であるが、そこを何とか活性化し、ブランド化しようとする町役場周辺の熱い志を感じとることが出来たことは嬉しかった。町長さんをリーダーに、平成の大合併をくぐりぬけて、何とか川本町を従来の故郷として生かしながら町づくりにエネルギーをぶつけておられるお話を伺ったことは大変な収穫であった。川本は生きていると感じた。ますます川本に関心が寄せられるよう、そして川本が多感な時代にあった私を育んだ町として誇りに思える町に成長して欲しいという思いを抱いて日光の自宅に戻ったのが7時であった。11時間のDay tripであった。

2010年5月24日月曜日

Congratulations!!
一昨日の5月22日、私達のボランティア活動であるEECC(Enjoyable English Conversation Club)の友達を通して出会った若い可憐な女性智子さんがついに念願のBagel のお店を開店して見せた。店の名前はTOMOZO.昨年の秋にその話を聞き、Bagel大好き人間の私は楽しみにしていたが、その後持病のDiabetes治療のため、しばらく入院されていた。それが無事に健康を回復されてこの開店オープンという大事業に漕ぎ着けられたのだから拍手喝さいである。EECCまで差し入れに何度か来ていただいていて、その味の高級感と作品への愛情がたっぷり籠められているというのが私の感想であった。早速、開店日が土曜日であったことから、一緒にEECCをやっている律子さんとお祝いに出かけた。大沢の交差点から旧街道に入った所に赤い屋根の工房とお店を見つけた。智子さんらしいお人柄が伺える素直で可憐でクリーンなイメージの佇まいであった。11時が開店というのに合わせて、既に多くの人が列を作り始めていて、思わず、「良かった!」と第一声。本当は10個ぐらい買って行きたかったが、後に続々やってくる大切なお客様達のために遠慮して数個に留めた。帰宅してコーヒーと頂いた時は幸せを感じた。一回に半子で十分のボリュームである。
もう一つ、EECCからのお祝いの胡蝶蘭の鉢にはやはりEECCの仲間の手による毛筆のメッセージが付けられているが、その筆の素晴らしいこと。勢いがあってメリハリのある美しい筆跡である。EECCから、其々才能を持った人との出会いがあり、沢山のエネルギーを感じながら私自身の人生が鼓舞されていくのを感じている。
On May 22'10, the day before yesterday, a young hyacinthine girl, Tomoko-san, finally opened up her own Bagel shop named TOMOZO after a long consideration. I heard about it in autumn last year and I have been looking forward to it since Bagel is my favorite food. Tomoko, however, had to be hospitalized for a while because of her inveteracy diabetes care. Therefore her plan to have her own shop seemed to have been postponed a bit. But she is now recovered and she made her dream come on this date. Ths shop is located along the old main road 100m down to Utsnomiya from Osawa I.C. I found easily her shop with a red roof on and I met Ritsuko-san, my friend and activity-mate, to visit together to congratulate. The shop and its atmosphere shows its owner's sincerity, cleaness and freshness. There were already quite few customers making a queu. We greeted Tomoko-san , her sister and her mother working together. Then we bought a few bagels. We hesitated to buy more for the sake of other customers coming afterwards. Upon returning home, I tried the first bagel with a cup of coffee, which made me so hapy.
One more thing, a beautiful message attached to the orchid pot given by EECC for this occation, written in Japanese brush by another EECC member, attracted me so much with its energetic in good voice and beautifulness. I realy appreciate my fortunate destiny to meet many talented friends through our activity EECC. I myself have been encouraged to keep going on and on.

2010年5月17日月曜日

今日の日経新聞に山瀬理桜さんの記事を見つけて、心臓が高鳴った。7年前、私達がまだオスロに赴任していた時に初めて出会ったバイオリニストである。記事にあるように、ピアニストである彼女のお姉さんがノルウェーの方と結婚されていてそれが縁でノルウェーとの行き来を頻繁にされていた。豪華客船「飛鳥」に乗って、コンサートを開いたりしておられた。まだ若さ溢れる美しい姉妹というイメージが残っている。ある日曜日、突然公邸に来られて、ハルダンゲール・バイオリンの紹介をして下さった。そのさわやかさと積極性溢れる美しさに強い印象を持ったことを覚えている。あの時は、初対面ながら、話がはずんで、私達夫婦が彼女達には初めてというコントラクト・ブリッジの手ほどきみたいなことをやったという異例の訪問客となった。この記事を読むとハルダンゲール・バイオリンを初めて8年ということだから、当時は演奏をし始めた頃だったことになる。その時に頂いたCDは今ここにある。その後、相当に頑張って今では、日本でもクラブを立ち上げて指導されるまでになっておられる。時節の挨拶状は交しながらも、残念ながら日光で彼女の演奏はまだ実現されていない。いつか実現出来たらな~という思いはある。自然環境も日光と似ているところのあるノルウェーとの友好関係を考えた時、その前面に立って仕事をしていた現役の時の経験が手助けになればと夫も前向きに考えているようだ。受け皿が問題である。

2010年5月16日日曜日

A summary in English from yesterday's blog (I was too tired to write an English version of my blog yesterday!)
Under such a beautiful spring weather, we(me & my husband) drove all the way down to Abiko in Chiba pref. taking 3 hours drive without any stop on the way. We visited our second daughter's mother in-law who has been hospitalyzed for more than 1 year. We were welcomed by our daughter's family, her husband and their son. They came by their own car from their place in Ichikawa. We entered the hospital altogether. Due to the strange care system, most of the patients have to be transfered to a different hospital every 3 months. This Tsukushino hospital in Abiko is her 4th hospital. She collapsed in March last year at home and immediately taken to hospital by ambulance. They found out she got cerebral infarcton. Once she seemed to be recovered to some extent but she happend to fall down in hospital by herself, which made her worse. Then she got to be paralyzed. She is only 71. That was really too bad. Since then she has never had a chance to open her mouth to talk to her grandson, such an adorable smart boy. He is going to be 4 in July. He can talk a lot and read Hiragana, Katakana. He is really growing both physically and mentally. It is sad to see him touch her granma's hand and massage it gently to get no reaction. We all wish her recovery as soon as possible.

May 15 is our second daughter's birthday which is coincidentally the day of Okinawa Return. She was born when Okinawa was returned to Japan in 1972. So after visiting her mother in-law, we went to Kashiwa no Ha Lalaport nearby and had a lunch together to celebrate her birthday.

家族

昨日は純粋の春の風景を車から味わいながら夫と我孫子まで行ってきた。次女の嫁ぎ先のお義母さん(安子さん)のお見舞いにつくし野病院までカーナビのお蔭でやっと到着。所要時間3時間。一度も休憩しないで運転をやってしまう私だが、NY時代、アメリカ大陸を往復横断した時に比べたら序の口と言いたい所だが、あれから15年経過している。加齢してきていることを考慮しなくては。病院前で娘夫婦と3歳の長男コウスイ君が待っていた。「日光のじ~じ、ば~ば!」と元気よく迎えてくれた。皆一緒に病室へ。あれから一年二か月が経っている。自宅で急に変調をきたして病院に運ばれ、脳梗塞という診断から治療を受けながら頑張っておられるのだが、最近は3か月ごとに転院を繰り返す結果となり、今は自宅から車で1~1.5時間かかる我孫子の病院であり、私達も今まで何度かお見舞いには伺ったがこの病院は初めてであった。脳梗塞の患者さんが殆どで、それが専門の病院に見受けられた。住宅街の中にあって、こじんまりしており、病棟の様子も温かい雰囲気があった。安子さんは前回より、肌の艶が良く、浮腫みもなく、皆で声をかけながら手足をさすってあげると、何となく口を動かしたり、目を開けようとするような反応があり、以前よりいい方向に向かっているような感じがした。チューブを通して食事をしている時で痛々しく、お話がしっかり出来るようにまで成長した内孫とお話がしたいときっと思っているに違いないと思うと切なくなる。頑張って欲しいと願わずには得られない。

5月15日は沖縄返還の日で沖縄が返還されてから38年になる。次女はまさにこの日に生まれている。病院から20分車でいったところに柏の葉、ららぽーとがあった。次女の誕生日を祝ってささやかな昼食会をやり、孫との会話を楽しんだ。朝、出かける前に「復帰っ子」というあたらしい言葉を知った。テレビで沖縄の米軍基地撤去運動に真剣に取り組む38歳の復帰っ子の報道がなされていた。今普天間問題が揺れに揺れている。

2010年5月12日水曜日

日光は恵まれた自然環境の中にあってゴルフ場も沢山ある。東京ならばしっかり予約をとって往復に時間をかけてやるので一日がかりであるが、日光では当日の電話一本で可能であり、だいたい半時間前後で行ける。更にプレイ費も格安である。健康維持と友人知人との親睦を深めるのにこんなにありがたい環境は無い。日光に住み始めて四年になるがいろいろなグループに入って楽しませて貰っている。
今日は、又新しい経験をした。ゴルフの達人と愛好者からなる大谷川ゴルフクラブのコンペに初参加した。場所はハレル。あることがきっかけで、3年半前にH氏の計らいで夫をコアにして立ち上げたクラブである。年に3,4回のコンペが行われている。今回は女性を入会させたいという意図から、とりあえず、私が参加を決意したのだが、56+51というスコアは恥ずかしい。優勝者はグロスが77。ちなみに夫は41+47でまずまず。でも新ペリエ方式のため、彼は16人中9位、私は12位という結果であった。年齢的には42歳が最年少で最年長は76。天気にも恵まれ、百花繚乱の最高の時節に、人生経験豊かな楽しい人達ばかりの中に入ってプレイ出来たことに感謝したい。打ち上げは山のレストランで行われたが、ツツジが最高に美しく、食事も最高に美味しかった!
アメリカはフロリダで仕事をしている息子からこのブログのコメントが届いた。自分よがりのブログにならないよう、でも自分を鼓舞できるようなブログにしていきたい。

2010年5月11日火曜日

真夏を思わせる大晴れの暑い天気に恵まれたGWが過ぎたとたん、雨模様の中寒さが逆戻りした。そんな中今月は初日となる日光彫工房に出かけた(日光彫はやり始めて、3年半になる)。友田先生の門下生として10人の仲間が月に3回集まって楽しくやっている。今度初段を目指す課題作をやっと完成?平らな一片の厚めの正方形の木地から方形の菓子器を作り、中に白菜のデザインをうっすらと彫るというもので、今までとは一寸異なる彫り方であった。これには大工道具(ハンマー)を派手に駆使して、結構大変であった。今日の後半は茶卓(コースター)に挑戦。ひまわりをイメージして、これまた茶卓のアウトラインをヒマワリの花弁にするため、金具用の鋸を使用。細工職人に変身! 又、背中、肩がコチコチになって鉄板みたいになるかも。でも物づくりは結構楽しい。同じものを作っても、それぞれキャラクターが出るものである。私の場合は、何か楽しそうな表情があるとのことで大いに励まされている。

テレビで川村ユカリさんのブログのことが取り上げられていた。彼女は若くして再発した乳がんで倒れ他界した若い歌手であるが、生前に続けていたブログがまだ生きていて、その後もコメント等がどんどん入って更新され続けているそうである。ブログは生きたアルバムだと妻をやはり癌で亡くしたある男性が涙をこらえて漏らしていた。彼は、妻のブログから彼女が生前に癌患者たちを励ますために立ち上げた組織を知って、彼女の意志を存続しているそうだ。ブログが生前には知らなかった妻をより深く理解させることになり、妻の心は共に生きていると感じることが出来るのだろう。悲しいけれども、勇気の出る話であった。

2010年5月4日火曜日

 時代は目まぐるしく移り変わっても、昔の人の言ったことは今でも通じるところがあるのには驚かされる。人の心というものは昔も今も一緒であり、環境にそう左右されるものではないのだろう。孫達の3日間の滞在はあっという間に終わった。「孫は来て良し、帰って良し!」異口同音に爺婆族は言う。そうかなと思っていたが、どうやら孫が1歳を過ぎて歩き回るようになり始めると、この言葉の意味がわかってくるようだ。それだけこちらが年を重ねてきているということかも知れない。とはいうものの、皆が帰って行った後ホッと一息つきそうになる一方で、一抹の寂しさが残るのも事実である。それを打ち消すかのように、家中の片づけと掃除、洗濯を一気にやってのけた。
 我が家の孫は二人であるが、爺婆の年齢からすると3歳2カ月と3歳9カ月でまだ小さい。二人とも男の子でそれぞれ長女、次女の長男である。彼らは千葉の蘇我と市川に住んでいて、比較的近場ということでお互いに行ったり来たりして会っているため、大の仲良し従兄同士である。どちらも保育園に通っているためいろいろなことを実に早く覚え、会話が達者である。今回は特に、彼らの会話を聞いてその成長ぶりに驚き、楽しんだことはいうまでもない。そして、自己主張を抑えることが出来ない成長段階にあるということも認識した。これから躾、教育という大事な問題にぶつかって行くことも見えている。親が教育されていく番でもある。私達の歩んだ軌跡を娘達が歩み始めている。
 かつてよりブログなるものをいつか作成しようと思いつつ、時期を逸していたところPCの達人である娘婿の助けを得て出発進行することが出来た。孫達と行動を共にしていると見学先のシニア料金が目につくようになり、シニアライフが気になってくる。日々の雑感を少し綴って見ようと思う。
 五月のGWは恒例の孫達家族が私達のところにやってきて、可愛い成長ぶりを見せてくれる。数か月振りで一緒にいるとその成長には驚くばかりである。