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2024年4月28日日曜日

GWに突入

今年のGWの前半は27日の土曜日~29日の月曜日まで。後半は5月3日の金曜日~6日の月曜日まで。続けて休みを取る人は9日間の休暇となる。 1ドル=158円まで円安になって海外へ出かける人は少ないと思いきや、それでも殆どコロナ前まで復活している。それより、インバウンドが大盛況である。海外からわんさと観光客が円安効果を利用して訪れている。日本の観光地は大賑わいとなっている。日本文化がこれほど派手に、広く、深く、外国人に関心を持ってもらうのは今まで無かったことである。体験型観光が流行っているようだ。AIの進化により、言葉が出来ないことは今や障害にはなっていない。意志疎通はAI機器を使ってどんどん出来るし、検索も自由自在。スマホ文化が全ての役割を制覇。・・ハラという言葉が数えきれないほど出回り、意味不明でついて行けないことが頻繁にある。この瞬時のキャッチャップに戸惑うことが多くなった。加齢という言葉が常に頭をよぎるようになった気がする。体調の変化でもその思いがつきまとう。これではいけないと歯を食いしばって、そもそも私が、そういう世界にいるということに実感が無かった筈である。3月30日の新聞に投稿記事が掲載されてまだそんなに日が経っていないのに、少し、サンライズブルバードに向かって歩くペースが落ちたような気もする。親友が体の不具合に直面したこと、月一のネットでのお喋り会も、話す勢いが何だか消極的になりがち。一方で、夫がイニシャチブを取って立ち上げた5月11日、12日のプロジェクトのカウントダウンがスタートして後、2週間に迫っている。O大使ご夫妻をお迎えるにあたって、欲張ったスケジュールになってしまって、今反省しながら修正に漕ぎつけた。1か月前から寝ても覚めてもおもてなしの試行錯誤が頭を駆け巡り、天候の急変で寒暖の大きな差も手伝って、風邪を惹き、喉の痛みと鼻に頭は朦朧。ついに林先生のところで注射を2本。4種類の薬を処方して貰った。熱も微熱が出てしまった。今日あたり、少し回復した気がする。O夫人との電話とメールのやりとりで気持ちが楽になった。3日前には益子の友人のところに急遽雨の中を車で馳せ参じて夫人のためにアクセサリーを求めた。気持ちが少し楽になった。由記子さんの誘いでナンドール美術館にも寄って来た。小方さんに久しぶりでお会い出来た。 明日は第116回目の講話会がある。睡眠を取っておこう。

2024年4月8日月曜日

4月に突入

4月8日 いよいよ新学期の始まり。この半月は開花予報で賑わった日本列島だが、昨年と比べると一週間は遅い。それでも桜が開き始めると、辺りはパット明るく輝き、世界がまるで違って見える。都心は今がピークで大勢の人出で大賑わいの様子がテレビの映像から伝わってくる。季節は文句なしの春爛漫に突入である。 そんな中、我々は5月11日のMr.Oの特別講演会に向かってその準備で楽しみと同時に緊張が高まってきている。本日ようやくチラシの原稿が出来上がった。表面と裏面を備えたA4の一枚紙だが、誤植は無いか、内容はこれで良いのか、念には念を入れて、夫が関係者とすり合わせに余念が無い。現役時代と違って、すべて自分の力量の限界を感じつつも、それをサポートするべくこの年で挑戦出来ることはありがたいと思うべきだろう。最後の特別なプログラムに漕ぎつけて不行き届きの無きよう(これは絶対あり得る)、しっかりしなくてはとの思いがプレッシャーにもなるが、前に進むしかない。一生懸命誠意を持って望むことである。 このプログラムが実現する運びになった時、Mr.Oから紹介された『学ぶこと』と『思うこと』という氏の教え子たちの思い出の記録が収録された本を読んだ。知恵と人材の詰まった圧巻の書である。凄い人ということに尽きる。Passion for Anonymity(誠実:清廉:正直:無名で仕事をする心意気)がモットーにある。 氏はかねがね四つの愛(Is)という表現を強く言われているが、その最初に出る言葉である。つまり①Integrity そして②Insight (洞察力)③Intellectual curiosity(知的好奇心)④Individuality (個性)という四つのIで始まる言葉を掲げておられる。氏の教え子の一人が現外務大臣の上川陽子さん。氏は外務省の現役時代に毎週土曜日に駒場に通って講義をされていたということをこの本を読んで初めて知った。殆どの人が知らないのではないかと思う。人材育成教育である。何を教えるかが問題ではなく、問題にどう向き合い、どう学び、どう思うかという、まさに人材育成教育ということ。30年ぐらい外務省の激務をやりつつ、サイドでこういしょう人生目標を持ってそれを実施されていたというこのと凄さには夫も驚嘆した。氏の父君の優れた教育者のDNAを受け継がれていることも分かる。若い人達、教育に携わる人達にも是非読んでみて欲しい本である。

2024年3月12日火曜日

3月のインパクト②

3月9日(土)東京より大学生が2人やってきた。松本君と木口君、それぞれ東大と早稲田の一年生。目的は東京、日光、アセアン側の学生達10人ぐらいがネット上で今回はnatural disastersをテーマに議論する。大きくは環境問題であるが、その技術開発を日本が一方的に発信するのではなく、アセアンと共同で一緒に考え、アイディアを出し合ってプロジェクトを立ち上げる方向に持って行くはなしであった。若い学生達に未来をより平和な世の中にするにはどのように考えてどのようにアクションをとるか、を考える力をつけて欲しいというのが夫の願い。東大で既に立ち上がって活動をする、MISというグループの中に夫は入り、学生達を我が家に呼んで今回のようなネットでアセアン側と議論するのは3回目となる。キャンパスでも議論を重ねている。我が家に来た場合は、ただ、そのネットでの議論だけではなく、BBQをしたり、翌日にはスキーに連れて行ってリフレッシュさせている。宿泊させて、食事を提供して、彼らは刺激と新鮮さを味わいながら楽しんでいる様子なのが嬉しい。生かされた命を活かす努力は大事であると思い始めている。 そんな中、今回、彼らがスキーに行っている留守中に「考えること」と「思うこと」と題された本を夫に勧められて読んだ。凄いの一言。大先輩の頂点にある小和田恒大使の教え子達が大使の卒寿を祝して彼等が書いたエッセー、対談を編集した本である。その教え子たるや、今の外務大臣、上川大臣、シンガポール大使の赤松大使など、第一線で活躍されている知識人ばかりである。外務省時代の大使としてしか存じ上げなかった小和田大使の別の面の凄さを知って一層驚いた。現役時代から駒場で学生を教育されていたなんて、知る人ぞ知るの世界。忙しい現役時代にブレることなく、誠実に、一貫して、学生を指導しておられたということ。国際司法をテーマとされたのだが、それより、次世代を担う学生に学んで考える人間になることを願って人間教育に徹されたよう。国際司法裁判所で判事、所長として15年勤務されながらライデン大学でも指導された由。退任されてからはライデン大学と東京大学で交互に講演をされている由。日欧で指導を続けられている。正に大使の信条が根底にあるのではないだろうか。四つの愛(I)=Integrity/Insight/Intellectual curiosity/Individuality 御年今年9月には92歳になられる。

3月の大きなインパクト①

3月8日(金)宇都宮ライトキューブでの一般公開セミナーに夫と参加。講師は(株)オーリアルCEO(不動産会社)NPO法人アクセシブル・ラボ代表理事の大塚君平氏、コメンテーターとして済生会宇都宮病院栃木救命救急センター所長の小倉崇以先生による2時間のセミナー。講演の題名は「次のバリアフリー」~社会福祉の近未来~。「救命の”先”」~社会復帰への道のり~。 30代後半の大塚氏のプレゼンは内容も語り口も非常にクリアで目から鱗のインパクトを受けた。彼は不動産の仕事をスタートして間もなく不慮の事故で脊椎損傷を負い、障害者として車椅子の生活をすることになったのだという。そこからが凄い。立ち上がって、障害を活かして未来を切り開く。body sharing robotの開発、ハイテクを駆使して自由に行動範囲を広げられる機器の開発へのアイディア提供である。健常者では気が付かない視点から障害者がどんど気づきを提供する。障害者は遠慮することはない。多様性社会の一員として、行動できる世の中、社会の構築を目指す話であった。 小倉先生は命を救うことで終わるのではなく、命を生かし、生きる希望を与えることだと強調された。バリアレス社会復帰である。HAL(Hybrid Assistive Limb)ロボットスーツの開発。イノベーションの重要ポイントは生きていく希望が世の中のためのハイテク開発を促す。バリアフリーという言葉より、バリアレス社会こそ、寛容な社会。社会復帰の問題は心のバリア+物理的バリアが一緒にクリアして到達される。ありのままを表現できる居場所造りである。大変力強く、未来を明るく切り開く希望の持てる話であった。夫の「日本の技術は海外へ送る段階にあるか」との質問に、小倉先生は日本は次の段階への開発力は無いと。日本には研究者を育てる地盤が無いとのこと。このセミナーは9回目?とのこと。これから続くプロジェクトである。

2024年1月21日日曜日

源氏物語に嵌る

2024年1月21日(日)  長女朝子から、昔越中島時代(1978~1983)の臨海小学校で彼女の仲良しだった美子さんが、彼女の母親に端を発した源氏物語研究を独学で続けているという話は聞いていた。それも社会人になってからスタートし、かれこれ30年になるという。彼女の初版①「源氏物語原文分解分類法 心の宇宙の物語 千年の時を超えて」(2015年出版)を数年前に読んだ時、あの美子ちゃんが、それこそ宇宙に飛び込んだような凄いライフワークを見つけたものと感心した。訳者紹介の一文に、紫式部が、「思考と感性」の力で言葉の限りを尽くし,この世の全てを表現することに挑んだ「源氏物語」。その「情熱と孤独」に感銘を受け、原文の読解をライフワークにしているとある。  その後、執筆活動は続き、②「源氏物語54帖 紫式部の眼」を2018年4月に出版。そして3年後の2021年12月③「源氏物語54帖 現代語訳 紫式部の物語る声(一)」を出版。続いて2023年3月④「源氏物語54帖 現代語訳 紫式部の物語る声(二)」更に2023年12月⑤「源氏物語54帖 現代語訳 紫式部の物語る声(三)」を出版。恐るべき忍耐とその意気込みに圧倒された。この現代語訳シリーズは全12冊だと言っているのでこれからの道のりは想像以上であろう。応援しないではいられない。昨年暮れに帰省した朝子が美子さんから彼女の本が送られてきたのでお母さんにも読んで欲しいと言って置いて行った。 手元に②③④⑤が今ある。②をまず完読。③に入り、54帖の5帖(桐壺・帚木・空蝉・夕顔・若菜)分の現代語訳を美子さんのエネルギーを感じながら、美子さんの心情(つまりは紫式部の思考と感性)に思いを馳せながら読んでいるところである。実に超大作である。  美子さんのご両親が源氏物語研究をまず先にスタートされていたというから驚く。そもそも母親の睦子さん(越中島時代に同じ宿舎に住んでいたことから、お互いに知り合いだった)がご主人が現役の時に京都に在勤された折、行政区の公民館での源氏物語講座に参加されたことから、睦子さんがまず源氏物語に関心を寄せ、国家公務員だった父親も退官後に興味を覚え、第二、第三の人生を歩む中で、専門とは余程遠い紫式部研究にご夫妻で一緒に研究を始められたという。その後、2009年より殆ど2年おきに単独または共著で出版を重ねて約10冊を世に出されている。専門家を超える作業を続けられているという。最新作、2023年11月出版の「源氏物語探訪 ゲーテとともに」をアマゾンから取り寄せ、それも読んだところである。ゲーテとの思考哲学の類似点を抽出し、解説をするという新しい視点で紫式部が驚愕的に崇められている。(美子さんはベートーベンとレオナルド・ダビンチと紫式部を並べている。) 他に類をみない親子のライフワークに接して、本当に感銘を受け、大きな刺激を受けている。  ただ、美子さんとの書簡のやりとりで、彼女がいかに孤独と闘い続けているかを知り、彼女の気持ちのあり方に心を寄せながら彼女の力作を丁寧に読み進めているところである。健康に気をつけて、自分を大事にして、大仕事に挑んで行っていただきたいと願いながら。  折しも、今年のNHK大河ドラマは「光る君へ」源氏物語の作者、紫式部の物語である。大石静脚色。今日で3回目であるが、紫式部がどのように描かれて行くか、美子さんの著作で得た知識、情報も手伝って、大きな関心を寄せながら見ている。  

2024年1月8日月曜日

2024年令和6年のスタート

新しい年がスタートして一週間が経過した今、やっとパソコンの前に座る。 1月1日 大晦日に遅くまで「生さだ」の番組を観て、気がついたら朝の3時。あわてて就寝したものの、6時には起床。元日の朝餉を整えるべく厨房で作業して9時には食事が出来るようにスタンバイ。しかし、夫もムナさんも起きてきたのが10時過ぎ。年末から来ていたムナさんも一緒に年始を迎え、神棚に拝礼してお節料理をいただき、ゆっくり初詣に出かけた。市営の駐車場はタイミング良く、出庫する車の後にすぐ入れられて、ラッキーな出だしに安堵。快晴に恵まれた元日の朝の山内は意外に混雑していない。アジア系の外国人が多いのと欧米の人達もかなり居たが、一般的に、若い人達が多く、晴の着物姿は皆目無かった。着飾った様子もなく、普段の出で立ちで、沢山並んだキオスクが賑やかだった。恒例の経路でまず、輪王寺に詣でる。輪王寺では珍しく、元日光ユネスコ協会会長の武田夫妻に遭遇。数年振りだったので、なつかしく、お互いに、年は重ねたものの、元気にお話が出来た。東照宮では破魔矢をゲットし、二荒山神社に流れて、お参りをする。久しぶりのそぞろ歩きは好天気に恵まれた中で気持ちよく感じていたところに、今度は以前所属していた日光混声合唱団のメンバーの佐藤さんに遭遇。古いお札を焼く一角でお仕事をされていた。あれから、二荒山神社のスタッフとしてお仕事をされているというお話だった。 二荒山神社の参道を下って帰路に。夫はかなり歩き疲れた様子で、一挙に帰宅。遅いランチの後、ムナさんは庭の土木作業の手伝い。今回は喪中はがきを出したことから、年賀状は出さなかったことから配達された年賀状の整理は無用。淋しいような、助かるような。昨夜は殆ど寝ていなかった関係で昼寝をすることに。しかし、大事件が。4時過ぎに、携帯のアラームが発生。地震警報である。寝ぼけ状態で、大地震の発生を知る。能登半島が震源地なのに日光のこのあたりまで揺れたので、相当大きいことを感じた。テレビの報道を観て、このめでたい元日に、故郷に帰省していた人達、観光客も巻き込まれたに違いない。楽しかった筈の元日が一瞬にして地獄に。まさに青天の霹靂の出来事が起きてしまった。被災された方々を思うと心が痛む。 2日は夫とムナさんはスケートに。私は厨房の仕事をして初歩きに。公園はいつもとかわらず、快晴の天気に恵まれて暖かいウオーキングだった。帰宅したら、彼らも帰宅していて、すぐに昼食。夫は足が痛くて、結局スケートはもう不可能と悟ったよう。哀れなるかな正男さん。ムナさんは小さい時にやった経験があることから、さすが、自転車同様、感覚を取り戻して、楽しんだ様子。ランチ後は、庭の地面下に電線コードを設置する作業に専念。暗くなる直前に完了。ホッ!! 3日は午前中は庭で切り株を使って木への登り階段をみんなで作る。木の枝に座れる場所を作って、展望台が出来上がった。夫の遊び心が招いた作業だったが、リスキーながら面白いと思った。ゴルフ場が一望出来る。写真撮影成功。そしてゴルフレンジに出かけて、初練習。ムナさんにとってはゴルフクラブ初握り。彼女は何事にも挑戦意欲があり、ゴルフにも関心をもったよう。さあ、どうなるか。 一端帰宅して昼食を取り、ムナさんは3時過ぎの電車で東京へ帰って行った。翌日から授業がある由。我々は、土沢へ新年のご挨拶に。甥の孫に初対面。生後一カ月。藍と書いてらんと読ませる名前とか。しゃれてるなー!おちびさん達にお年玉をあげて一段落。 4日は二人で初打ちat Linehill。スコアは良くなかった。 5日、新聞で渡邊弘子さんの訃報を知って驚愕。神林さんに電話で様子を伺ったところ、昨年末、急に体調を崩して、そのまま帰らぬ人に。心質性肺炎が病名。心室が繊維化して呼吸が困難になるという恐ろしい病気。急性であるのが死亡率が高い由。信じられない思いだった。10月末のソロプチミスト主催ゴルフチャリティーコンペで元気な姿を見たのが最期になった。人の命って実にたわいないとつくづく思った。 夕方、夫とご自宅を訪問して弔意のご挨拶。いろいろ詳しいお話を伺って、病院の対応に一寸ミスがあったのではないかという不信感を持ってしまった。 8日、告別式に参列。(第二月曜日にあたるこの日はコーラスがあったが欠席)