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2013年2月27日水曜日

Re:もう一つの北欧 アイスランド(Iceland)

もう一つの北欧、アイスランドについて関心を向け、以前にも読んだことのある本を2冊読み直した。「風がよごれていない国 アイスランド」と「アイスランド何処ドコ紀行」の2冊。前者はアイスランド人と結婚された日本女性の経験を中心にアイスランドについての知識が満載されており、後者は三人の若い女性社会人が初めてアイスランドに旅行した時の紀行文で、偶然にもこの2冊は私達がノルウェーに赴任する時期と前後して出版されている。従って、記載されている情報はまさしく私達が経験した時期のものであり、今改めて当時を思い出しながら再読したことになります。時々こういうことをしないと私の記憶も薄らいで行くという懸念もあってタイムスリップ出来たことに感謝したい気持ちです。アイスランドの風土や国民性を少し理解したところで、1955年にノーベル文学賞を受賞したアイスランド人、ハラトール・ラクスネスの「Independent people」という長編小説をこれから読むところです。

2013年2月19日火曜日

Friends-Meeting again our Norwegian friends after over 9 years interval

One of the best artists in Norway came to Kyoto with his wife to open his exhibition at Shibunkaku gallery on Feb.14. We became friends when we were posted in Norway and it was a good opportunity to meet agan each other after over 9 years interval. We were very happy to make it. They looked the same as they used to, although Jarle looked a bit tired because of his jet-lag problem. His art works, linoleum cut printing were colored in such bright, even divine tints and shades that we felt very pure and genuine. The colors of his works are always very impressive. There were five new peices related to the Tsunami in Tohoku and this exhibition itself is partly for its charity. There were quite a few guests, some of them were from out of Kyoto like us. Mr. Kida, a great artist of wood cut printing and glass painting, a person of distinguished service in Culture for Kyoto city was present to show his frindship with Jarle Rosseland by displaying a few of his art works together. The reception was very successful.

The next day we took them out to show them a precious place, Memorial Museum of Kanjiro Kawai, a famous ceramist, which we already visited this afternoon before joining the opening reception. My friend, Hiroko-san and her husand kindly introduced us to the successor of Kanjirou at lunch time and they took us to the Museum which is very much impressive. So we wanted to introduce this museum to Jarle and Signe as well. They admired the display of the ceramics in beautiful colors and shapes of course and the private quarter  in such a traditional Japanese style house where this ceramist used to live. The house is about seventy years old but still in good condition and beautiful. The huge kiln consisting of eight faunaces along the slope in the backyard was very interesting with a Shinto altar decoration to protect the work inside of the kiln. We ended up with another visit to the house of the successor, Mr.Toru Kawai, to appreciate a bowl of Japanese powdered tea kindly served by his wife.

2013年2月17日日曜日

Trip to Kyoto

老舗の料理屋”わらじ”で。
2月14日正午頃に夫と二人で京都 に到着。親友のHirokoさんと改札口で再会。3時から思文閣でのノルウェー人アーチストの美術展のオープニングまでの時間を共に食事でもして一緒に会場へ行くのが当初の希望だったところが、御主人のさりげないお計らいが待ち受けていてびっくり恐縮。「わらじ」という鰻雑炊(うぞうすい)で有名な老舗に案内されて大変なことになってしまいました。更に、ご一緒に知り合いの陶芸家夫妻もお呼びになっていて二度恐縮。その方はあの河井寛次郎陶芸家の甥っ子の子供であるという。お話を伺っているうちにブルネイに赴任する時にお祝いでいただいたあの銘々皿の作者であることがわかり、感動してしまいました。あれから17年の歳月が経っている。生きているということは奇跡のような運命に支えられている気がします。鰻の雑炊も初めていただくもので、何とも京都らしい上品でやさしい味付けでした。そこでの出会いは素晴らしいものとなりました。
 更に食後には、河井寛次郎記念館にご案内をいただき、平素は余り触れない別世界の芸術の香りに触れさせていただきました。寛次郎の作品の色遣いに魅せられ、その詩情と哲学には凄さというより、謙虚で優しい生き方がベースになっていると感じました。陶器だけではなく、生活用品のデザインも沢山手掛けていることを発見。そもそお飾る陶器ではなく、生活の中で使い馴染んで貰うのが本心であったとのこと。心の通う陶器ということなのだと思います。



 

2013年2月16日土曜日

Les Miserables

On February 13, we had an opportunity to see the movie"Les Miserables" which recently gained the Golden Globe Award in three classes. The film was surely well done in such a dynamic way and the actors and actresses were all good singers, especially Ann Hassaway played as Fantine impressed me especially when she was desparate for her future dream to be broken down because of her economical situation. Her songs of angrey and sorrow against the unfair society sounded so miserable and convincing and the beautiful melody was overlapped with the transparant voice of Susan Boil(?), an English singer. Anyway this movie let us think about  Victor Hugo's philosophy. Faith to the law was defeated by the faith to the human love at the end.

2013年2月5日火曜日

健康管理

昨日、今日のために主人の誘いにのってRedwingに練習に出かけた。今日の為というのはあの有名なゴルファーの伯父にあたる人とゴルフを一緒にやるというまたとない機会を得たことで少し練習しなくてはとの思いになったのである。ところが2,3発打って、懸念していたSciaticaが襲来。ボールは10発くらいをやっと軽く打つだけで私は先に引き上げた。そして鍼をやってもらおうと紹介されていた病院へ。かなり痛い思いをして電気鍼をやってもらった。しかし、ニューヨークで鍼をやって貰った時のような即効には至らず、少し時間がかかるかもと期待して帰宅。日常の動きにはそんなに支障は感じず、夜はそのまま就寝。ところが、明け方、5時頃、痛みが出始めて1週間前と同じ経験をする。なんとかベッドの中で我慢したが、7時頃、起きようとすると痛くて起きれない。前よりひどい。それでも我慢して階下に降り痛みをこらえながら朝のルーティンな仕事をこなす。昨晩の内にどうもまずいという予感で、別のメンバーに今日のプレイをお願いしておいて良かったと思った。相当に痛い一日の始まりであったが、動いているうちに痛みはおさまり、主人が出かけた後、本来の予定通りに日光彫に出かけた。仲間と日光彫の作業している間、痛みは皆無。以後、順調に夜のコーラスにも出かけ、今こうしてブログを更新している。明日の朝はどうだろう。いささか恐怖である。

2013年2月3日日曜日

日光清風塾 第20回講話会

 1月は休講であった為、今年になって最初の講話会。テーマは「地方分権について」
ここ数年、この問題は議論されてきているがなかなか道が開かない。例によって、参加者に「何故、地方分権を進めた方が良いか?」の問いかけから始まり、問題点、疑問点を提起してもらうやり方で始まった。発言者①今までの中央集権型が以前と続いていて地方を重視していない。又、オリンピック誘致は東京一極ではなく、むしろ、被災地でやるべき。発言者②地方にまかせてしまうと生活水準、教育水準に格差が生じる危険性がある。③人口を束ねたやり方を提案。ガバナンスの比重を考えるということ。④明治以来の中央集権型がいまだに続いている。欧米に追い付いた現時点では、それを修正する時にきている。藩による地方自治の経験を生かすべき。⑤地方自治に任せた場合の危険性として、組長の権力が強すぎる故に、組長の質が重要となる。
 以上の問題提起に照らし合わせながら話は進められた。社会福祉事業を例に挙げて、中央政府が目的を特定して予算を決定し、地方に交付し、地方自治体が実施する。そうではなくて、地方自治体に自由裁量権を与え、目的を特定しない一般交付金の拡大を図るべきではないか。地方自治体にまかせる。それは地方自治体と地方住民の距離を短くし、社会福祉事業の効果とそのための財源を住民が理解するようになる。本当の地方分権は住民が自らの問題として理解する土壌を産むことである。ノルウェーと比較して財政面では日本の方が数字的に強力(歳入が大きい)であるが、中央政府が目的を指示しているため、実体は中央が地方を縛ってきている。そこには、的外れがあるのでは。何のために地方分権をやろうとしているのか、地方分権の定義をしっかり把握すること。中央政府と地方政府の権力争いになってはいないか。問題は、国民が本当に日本の行政に参加するかどうか、民主主義が育つかどうかということ。民主主義の運営の仕方として、日本は、強い者には巻かれろ、とか、雲の上の人とかいう表現があるが、北欧にはそもそも封建制度が存在していない。政治は自分の物だという教育がなされている。中、高校での政治の勉強会の例。地方の行政の透明度を高めるためのオンブズマン制度の存在。日本のオンブズマンは国が認めていないもので苦情は提供するが、訴えは出来ない状態。いわば、私的に作ったようなもので住民が作って認められた組織ではない。本当のオンブズマンは裁判所みたいな機能を果たすものである。要は本当の地方分権は自由裁量権を持ち、住民が参加して政治意識を高め、地方自治の活性化につながるべきものである。夕張市や北欧の例を挙げながらのわかりやすい講話であった。

 

2013年2月2日土曜日

あと1か月で初節句 3人の孫の初節句でマゴマゴ状態


 いざ出陣!という武将の勇ましい姿をしているけどもうすぐ初節句のお雛様がやってくる女の子。
 お雛様達を部下にして今後の武将伝にご期待あれ!と言っているのは
昨年6月に出荷された四番目の孫。毎日彼女の写真から叱咤激励される思いで元気を貰っている婆婆です。右の団子三従兄妹の内向こうの二人がお雛様の受け入れ準備真っ最中。真ん中で泣いているのが左の武将と同一人物で、泣き方も本格的になると並ではない。その向こうの4月生まれの先輩はお雛様がぴったりの女の子。笑顔が絶えない一方で、ぴょんぴょん跳ね通しで父親に似て運動神経に期待できるかも。
手前の僕は一番遅れて8月に出荷されたものの大人物の様相を呈している。でんと構えて、ひたすら飲んで寝るという手のかからないどっしり型。両親のコミュニティーでの活動を後押ししている風格がある。端午の節句までゆったりと待つのみ。
 
 

元気を過信すべからず

ついに私にも坐骨神経痛というやっかいな魔物が襲ってきた。29日の真夜中、左側下半身に痛みが走り、どういう姿勢をとっても痛みから逃げられない。とにかく寝れない程の肉体的苦痛というのは久し振りで、昨年の秋の大プロジェクトに関わった時以来の不眠を経験した。あの時は精神的なものであったからむしろより厄介だったかもしれない。今回はとにかくお尻から脚にかけての痛みに悩まされ、翌日、即整形外科に行った。6個の写真を撮られて、背骨の第四と第五の関節がずれていることが判明。痛みの原因がわかったものの特別な治療は見送り。痛みも動いている間はさほどではなく、痛み止めの薬も貰わず、ビタミン剤のみを貰って帰った。それ以来、あの夜経験した痛みに襲われることなく今日に至っている。そういえば、2003年の春、ニューヨークから帰国するときに経験した背中全体を襲った動けないほどの痛みを想い出す。明らかに引っ越し作業が原因だったあの痛み。あの時は這うようにして幸運なことにマンハッタンで開業している日本人鍼灸師の所に行き、30分の治療で嘘のように治り、無事に帰国の途につけた。日本に帰ってからもすぐ同じ痛みを経験し、近くの整体師のところに行ったが、鍼ではなく、電気仕掛けの機械でやったために余計痛くなり、治るのに時間がかかった記憶がある。今回の痛みはあれ以来、調子よくきていた矢先だったので、あのニューヨークで観たミュージカル、サンセット・ブルバードのあのかつての名女優の老いゆく姿を想い出してしまった。自重しながら元気に行くしかないのかな?