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2010年5月24日月曜日

Congratulations!!
一昨日の5月22日、私達のボランティア活動であるEECC(Enjoyable English Conversation Club)の友達を通して出会った若い可憐な女性智子さんがついに念願のBagel のお店を開店して見せた。店の名前はTOMOZO.昨年の秋にその話を聞き、Bagel大好き人間の私は楽しみにしていたが、その後持病のDiabetes治療のため、しばらく入院されていた。それが無事に健康を回復されてこの開店オープンという大事業に漕ぎ着けられたのだから拍手喝さいである。EECCまで差し入れに何度か来ていただいていて、その味の高級感と作品への愛情がたっぷり籠められているというのが私の感想であった。早速、開店日が土曜日であったことから、一緒にEECCをやっている律子さんとお祝いに出かけた。大沢の交差点から旧街道に入った所に赤い屋根の工房とお店を見つけた。智子さんらしいお人柄が伺える素直で可憐でクリーンなイメージの佇まいであった。11時が開店というのに合わせて、既に多くの人が列を作り始めていて、思わず、「良かった!」と第一声。本当は10個ぐらい買って行きたかったが、後に続々やってくる大切なお客様達のために遠慮して数個に留めた。帰宅してコーヒーと頂いた時は幸せを感じた。一回に半子で十分のボリュームである。
もう一つ、EECCからのお祝いの胡蝶蘭の鉢にはやはりEECCの仲間の手による毛筆のメッセージが付けられているが、その筆の素晴らしいこと。勢いがあってメリハリのある美しい筆跡である。EECCから、其々才能を持った人との出会いがあり、沢山のエネルギーを感じながら私自身の人生が鼓舞されていくのを感じている。
On May 22'10, the day before yesterday, a young hyacinthine girl, Tomoko-san, finally opened up her own Bagel shop named TOMOZO after a long consideration. I heard about it in autumn last year and I have been looking forward to it since Bagel is my favorite food. Tomoko, however, had to be hospitalized for a while because of her inveteracy diabetes care. Therefore her plan to have her own shop seemed to have been postponed a bit. But she is now recovered and she made her dream come on this date. Ths shop is located along the old main road 100m down to Utsnomiya from Osawa I.C. I found easily her shop with a red roof on and I met Ritsuko-san, my friend and activity-mate, to visit together to congratulate. The shop and its atmosphere shows its owner's sincerity, cleaness and freshness. There were already quite few customers making a queu. We greeted Tomoko-san , her sister and her mother working together. Then we bought a few bagels. We hesitated to buy more for the sake of other customers coming afterwards. Upon returning home, I tried the first bagel with a cup of coffee, which made me so hapy.
One more thing, a beautiful message attached to the orchid pot given by EECC for this occation, written in Japanese brush by another EECC member, attracted me so much with its energetic in good voice and beautifulness. I realy appreciate my fortunate destiny to meet many talented friends through our activity EECC. I myself have been encouraged to keep going on and on.

2010年5月17日月曜日

今日の日経新聞に山瀬理桜さんの記事を見つけて、心臓が高鳴った。7年前、私達がまだオスロに赴任していた時に初めて出会ったバイオリニストである。記事にあるように、ピアニストである彼女のお姉さんがノルウェーの方と結婚されていてそれが縁でノルウェーとの行き来を頻繁にされていた。豪華客船「飛鳥」に乗って、コンサートを開いたりしておられた。まだ若さ溢れる美しい姉妹というイメージが残っている。ある日曜日、突然公邸に来られて、ハルダンゲール・バイオリンの紹介をして下さった。そのさわやかさと積極性溢れる美しさに強い印象を持ったことを覚えている。あの時は、初対面ながら、話がはずんで、私達夫婦が彼女達には初めてというコントラクト・ブリッジの手ほどきみたいなことをやったという異例の訪問客となった。この記事を読むとハルダンゲール・バイオリンを初めて8年ということだから、当時は演奏をし始めた頃だったことになる。その時に頂いたCDは今ここにある。その後、相当に頑張って今では、日本でもクラブを立ち上げて指導されるまでになっておられる。時節の挨拶状は交しながらも、残念ながら日光で彼女の演奏はまだ実現されていない。いつか実現出来たらな~という思いはある。自然環境も日光と似ているところのあるノルウェーとの友好関係を考えた時、その前面に立って仕事をしていた現役の時の経験が手助けになればと夫も前向きに考えているようだ。受け皿が問題である。

2010年5月16日日曜日

A summary in English from yesterday's blog (I was too tired to write an English version of my blog yesterday!)
Under such a beautiful spring weather, we(me & my husband) drove all the way down to Abiko in Chiba pref. taking 3 hours drive without any stop on the way. We visited our second daughter's mother in-law who has been hospitalyzed for more than 1 year. We were welcomed by our daughter's family, her husband and their son. They came by their own car from their place in Ichikawa. We entered the hospital altogether. Due to the strange care system, most of the patients have to be transfered to a different hospital every 3 months. This Tsukushino hospital in Abiko is her 4th hospital. She collapsed in March last year at home and immediately taken to hospital by ambulance. They found out she got cerebral infarcton. Once she seemed to be recovered to some extent but she happend to fall down in hospital by herself, which made her worse. Then she got to be paralyzed. She is only 71. That was really too bad. Since then she has never had a chance to open her mouth to talk to her grandson, such an adorable smart boy. He is going to be 4 in July. He can talk a lot and read Hiragana, Katakana. He is really growing both physically and mentally. It is sad to see him touch her granma's hand and massage it gently to get no reaction. We all wish her recovery as soon as possible.

May 15 is our second daughter's birthday which is coincidentally the day of Okinawa Return. She was born when Okinawa was returned to Japan in 1972. So after visiting her mother in-law, we went to Kashiwa no Ha Lalaport nearby and had a lunch together to celebrate her birthday.

家族

昨日は純粋の春の風景を車から味わいながら夫と我孫子まで行ってきた。次女の嫁ぎ先のお義母さん(安子さん)のお見舞いにつくし野病院までカーナビのお蔭でやっと到着。所要時間3時間。一度も休憩しないで運転をやってしまう私だが、NY時代、アメリカ大陸を往復横断した時に比べたら序の口と言いたい所だが、あれから15年経過している。加齢してきていることを考慮しなくては。病院前で娘夫婦と3歳の長男コウスイ君が待っていた。「日光のじ~じ、ば~ば!」と元気よく迎えてくれた。皆一緒に病室へ。あれから一年二か月が経っている。自宅で急に変調をきたして病院に運ばれ、脳梗塞という診断から治療を受けながら頑張っておられるのだが、最近は3か月ごとに転院を繰り返す結果となり、今は自宅から車で1~1.5時間かかる我孫子の病院であり、私達も今まで何度かお見舞いには伺ったがこの病院は初めてであった。脳梗塞の患者さんが殆どで、それが専門の病院に見受けられた。住宅街の中にあって、こじんまりしており、病棟の様子も温かい雰囲気があった。安子さんは前回より、肌の艶が良く、浮腫みもなく、皆で声をかけながら手足をさすってあげると、何となく口を動かしたり、目を開けようとするような反応があり、以前よりいい方向に向かっているような感じがした。チューブを通して食事をしている時で痛々しく、お話がしっかり出来るようにまで成長した内孫とお話がしたいときっと思っているに違いないと思うと切なくなる。頑張って欲しいと願わずには得られない。

5月15日は沖縄返還の日で沖縄が返還されてから38年になる。次女はまさにこの日に生まれている。病院から20分車でいったところに柏の葉、ららぽーとがあった。次女の誕生日を祝ってささやかな昼食会をやり、孫との会話を楽しんだ。朝、出かける前に「復帰っ子」というあたらしい言葉を知った。テレビで沖縄の米軍基地撤去運動に真剣に取り組む38歳の復帰っ子の報道がなされていた。今普天間問題が揺れに揺れている。

2010年5月12日水曜日

日光は恵まれた自然環境の中にあってゴルフ場も沢山ある。東京ならばしっかり予約をとって往復に時間をかけてやるので一日がかりであるが、日光では当日の電話一本で可能であり、だいたい半時間前後で行ける。更にプレイ費も格安である。健康維持と友人知人との親睦を深めるのにこんなにありがたい環境は無い。日光に住み始めて四年になるがいろいろなグループに入って楽しませて貰っている。
今日は、又新しい経験をした。ゴルフの達人と愛好者からなる大谷川ゴルフクラブのコンペに初参加した。場所はハレル。あることがきっかけで、3年半前にH氏の計らいで夫をコアにして立ち上げたクラブである。年に3,4回のコンペが行われている。今回は女性を入会させたいという意図から、とりあえず、私が参加を決意したのだが、56+51というスコアは恥ずかしい。優勝者はグロスが77。ちなみに夫は41+47でまずまず。でも新ペリエ方式のため、彼は16人中9位、私は12位という結果であった。年齢的には42歳が最年少で最年長は76。天気にも恵まれ、百花繚乱の最高の時節に、人生経験豊かな楽しい人達ばかりの中に入ってプレイ出来たことに感謝したい。打ち上げは山のレストランで行われたが、ツツジが最高に美しく、食事も最高に美味しかった!
アメリカはフロリダで仕事をしている息子からこのブログのコメントが届いた。自分よがりのブログにならないよう、でも自分を鼓舞できるようなブログにしていきたい。

2010年5月11日火曜日

真夏を思わせる大晴れの暑い天気に恵まれたGWが過ぎたとたん、雨模様の中寒さが逆戻りした。そんな中今月は初日となる日光彫工房に出かけた(日光彫はやり始めて、3年半になる)。友田先生の門下生として10人の仲間が月に3回集まって楽しくやっている。今度初段を目指す課題作をやっと完成?平らな一片の厚めの正方形の木地から方形の菓子器を作り、中に白菜のデザインをうっすらと彫るというもので、今までとは一寸異なる彫り方であった。これには大工道具(ハンマー)を派手に駆使して、結構大変であった。今日の後半は茶卓(コースター)に挑戦。ひまわりをイメージして、これまた茶卓のアウトラインをヒマワリの花弁にするため、金具用の鋸を使用。細工職人に変身! 又、背中、肩がコチコチになって鉄板みたいになるかも。でも物づくりは結構楽しい。同じものを作っても、それぞれキャラクターが出るものである。私の場合は、何か楽しそうな表情があるとのことで大いに励まされている。

テレビで川村ユカリさんのブログのことが取り上げられていた。彼女は若くして再発した乳がんで倒れ他界した若い歌手であるが、生前に続けていたブログがまだ生きていて、その後もコメント等がどんどん入って更新され続けているそうである。ブログは生きたアルバムだと妻をやはり癌で亡くしたある男性が涙をこらえて漏らしていた。彼は、妻のブログから彼女が生前に癌患者たちを励ますために立ち上げた組織を知って、彼女の意志を存続しているそうだ。ブログが生前には知らなかった妻をより深く理解させることになり、妻の心は共に生きていると感じることが出来るのだろう。悲しいけれども、勇気の出る話であった。

2010年5月4日火曜日

 時代は目まぐるしく移り変わっても、昔の人の言ったことは今でも通じるところがあるのには驚かされる。人の心というものは昔も今も一緒であり、環境にそう左右されるものではないのだろう。孫達の3日間の滞在はあっという間に終わった。「孫は来て良し、帰って良し!」異口同音に爺婆族は言う。そうかなと思っていたが、どうやら孫が1歳を過ぎて歩き回るようになり始めると、この言葉の意味がわかってくるようだ。それだけこちらが年を重ねてきているということかも知れない。とはいうものの、皆が帰って行った後ホッと一息つきそうになる一方で、一抹の寂しさが残るのも事実である。それを打ち消すかのように、家中の片づけと掃除、洗濯を一気にやってのけた。
 我が家の孫は二人であるが、爺婆の年齢からすると3歳2カ月と3歳9カ月でまだ小さい。二人とも男の子でそれぞれ長女、次女の長男である。彼らは千葉の蘇我と市川に住んでいて、比較的近場ということでお互いに行ったり来たりして会っているため、大の仲良し従兄同士である。どちらも保育園に通っているためいろいろなことを実に早く覚え、会話が達者である。今回は特に、彼らの会話を聞いてその成長ぶりに驚き、楽しんだことはいうまでもない。そして、自己主張を抑えることが出来ない成長段階にあるということも認識した。これから躾、教育という大事な問題にぶつかって行くことも見えている。親が教育されていく番でもある。私達の歩んだ軌跡を娘達が歩み始めている。
 かつてよりブログなるものをいつか作成しようと思いつつ、時期を逸していたところPCの達人である娘婿の助けを得て出発進行することが出来た。孫達と行動を共にしていると見学先のシニア料金が目につくようになり、シニアライフが気になってくる。日々の雑感を少し綴って見ようと思う。
 五月のGWは恒例の孫達家族が私達のところにやってきて、可愛い成長ぶりを見せてくれる。数か月振りで一緒にいるとその成長には驚くばかりである。