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2024年3月12日火曜日

3月のインパクト②

3月9日(土)東京より大学生が2人やってきた。松本君と木口君、それぞれ東大と早稲田の一年生。目的は東京、日光、アセアン側の学生達10人ぐらいがネット上で今回はnatural disastersをテーマに議論する。大きくは環境問題であるが、その技術開発を日本が一方的に発信するのではなく、アセアンと共同で一緒に考え、アイディアを出し合ってプロジェクトを立ち上げる方向に持って行くはなしであった。若い学生達に未来をより平和な世の中にするにはどのように考えてどのようにアクションをとるか、を考える力をつけて欲しいというのが夫の願い。東大で既に立ち上がって活動をする、MISというグループの中に夫は入り、学生達を我が家に呼んで今回のようなネットでアセアン側と議論するのは3回目となる。キャンパスでも議論を重ねている。我が家に来た場合は、ただ、そのネットでの議論だけではなく、BBQをしたり、翌日にはスキーに連れて行ってリフレッシュさせている。宿泊させて、食事を提供して、彼らは刺激と新鮮さを味わいながら楽しんでいる様子なのが嬉しい。生かされた命を活かす努力は大事であると思い始めている。 そんな中、今回、彼らがスキーに行っている留守中に「考えること」と「思うこと」と題された本を夫に勧められて読んだ。凄いの一言。大先輩の頂点にある小和田恒大使の教え子達が大使の卒寿を祝して彼等が書いたエッセー、対談を編集した本である。その教え子たるや、今の外務大臣、上川大臣、シンガポール大使の赤松大使など、第一線で活躍されている知識人ばかりである。外務省時代の大使としてしか存じ上げなかった小和田大使の別の面の凄さを知って一層驚いた。現役時代から駒場で学生を教育されていたなんて、知る人ぞ知るの世界。忙しい現役時代にブレることなく、誠実に、一貫して、学生を指導しておられたということ。国際司法をテーマとされたのだが、それより、次世代を担う学生に学んで考える人間になることを願って人間教育に徹されたよう。国際司法裁判所で判事、所長として15年勤務されながらライデン大学でも指導された由。退任されてからはライデン大学と東京大学で交互に講演をされている由。日欧で指導を続けられている。正に大使の信条が根底にあるのではないだろうか。四つの愛(I)=Integrity/Insight/Intellectual curiosity/Individuality 御年今年9月には92歳になられる。

3月の大きなインパクト①

3月8日(金)宇都宮ライトキューブでの一般公開セミナーに夫と参加。講師は(株)オーリアルCEO(不動産会社)NPO法人アクセシブル・ラボ代表理事の大塚君平氏、コメンテーターとして済生会宇都宮病院栃木救命救急センター所長の小倉崇以先生による2時間のセミナー。講演の題名は「次のバリアフリー」~社会福祉の近未来~。「救命の”先”」~社会復帰への道のり~。 30代後半の大塚氏のプレゼンは内容も語り口も非常にクリアで目から鱗のインパクトを受けた。彼は不動産の仕事をスタートして間もなく不慮の事故で脊椎損傷を負い、障害者として車椅子の生活をすることになったのだという。そこからが凄い。立ち上がって、障害を活かして未来を切り開く。body sharing robotの開発、ハイテクを駆使して自由に行動範囲を広げられる機器の開発へのアイディア提供である。健常者では気が付かない視点から障害者がどんど気づきを提供する。障害者は遠慮することはない。多様性社会の一員として、行動できる世の中、社会の構築を目指す話であった。 小倉先生は命を救うことで終わるのではなく、命を生かし、生きる希望を与えることだと強調された。バリアレス社会復帰である。HAL(Hybrid Assistive Limb)ロボットスーツの開発。イノベーションの重要ポイントは生きていく希望が世の中のためのハイテク開発を促す。バリアフリーという言葉より、バリアレス社会こそ、寛容な社会。社会復帰の問題は心のバリア+物理的バリアが一緒にクリアして到達される。ありのままを表現できる居場所造りである。大変力強く、未来を明るく切り開く希望の持てる話であった。夫の「日本の技術は海外へ送る段階にあるか」との質問に、小倉先生は日本は次の段階への開発力は無いと。日本には研究者を育てる地盤が無いとのこと。このセミナーは9回目?とのこと。これから続くプロジェクトである。