ページ

2012年7月6日金曜日

三毛子 (29)

 おばあちゃんの家は戸建ての分譲住宅地の中にあった。島根の山奥の川本というところからおじいちゃんの退職を機に新築住宅を購入したところである。おじいちゃんは高校で先生をしながら、油絵をずっと描き続けた人だそうだ。何でも日展に毎年出品し、七、八回入選を果たしていたという。どうりで、アトリエがあり、大作がいくつか壁を埋めて飾ってある。絵のことはわからないが、今まで見たことの無いアトリエの佇まいを初めてパトロールした。隠れ場所があるようで無い。ここは寝る場所としては不向きであることをまず感じたものである。

肝心のおばあちゃんは声が大きくて、よく話す。足がわるそうだったが声を聴く限り元気そうだった。おかあさんが我が家に戻ってきたということが嬉しかったのだろう。大仕事だった病院行きもおかあさんが車で連れていけるようになったし、夜の目薬点眼もやってもらえる。おばあちゃんはとにかく達者な口に反して、余程の不器用で、目薬を自分でさせないのだそう。だから、おかあさんが来るまでは、伯父さん達が交代で寝泊りして目薬をさしてあげていた。

おばあちゃんが出来ることは新聞を読むことと、テレビを見ること。中でも、おじいちゃんを亡くしてから始めた俳句に関心があり、その関係の番組をよく見ていた。台所はおかあさんがやり、おばあちゃんはまだ食べる喜びがあった。おばあちゃんが使う部屋の掃除はヘルパーさんが来てやってくれていた。買い物もおばあちゃんが書いたリストを持ってヘルパーさんがやっていた。勿論、すべて、おばあちゃんの生活環境の域を出ないやり方で週二回、ヘルパーさんが来てくれていた。勿論私達の居場所はノータッチであったし、厳密にいうと、娘が来ているのだから、ヘルパーは無用ではないかという眼差しであった。おばあちゃんには継続しておかなくては先で困るという意図があった。


0 件のコメント:

コメントを投稿