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2018年2月25日日曜日

最近の心境、近況・・病が向上心を燃やす  

2018年2月25日 見え始めたこれからの歩み

 おりしも2月11日は建国記念日。エキストラな休日を得て、普通の健康な人は旅行、冬山へと飛び立ったこのタイミングに蘇我に住む長女から行き絶え絶えの電話が入った。病院からかけているらしくいつもの明るい声と違う。不吉な予感がよぎった。
 「・・お母さん、・・またこんなことに・・申し訳ないんだけど・・腹痛が酷くて・・救急車で病院に・・腸閉塞でもしかしたら手術することになりそう・・」
 夫は上京中であり、時刻も夕刻。最終電車には何とか間に合いそうと思ったが明日に来てくれればありがたいというので私は翌日の一番に出かけた。
 土、日、月と三連休を利用して、彼女の旦那は子供達を連れて友人の家族ともども、スキーに出かけた留守の出来事。インフルBにかかって体調を崩していたため、彼女は家で養生していた矢先のことであった。後でわかったのだが、旦那はスキー場でアクシデントに遭遇して肋骨を痛めていたという。5歳の娘に突進して滑ってきたスキーヤーから彼女を庇おうとしてぶつかったとのこと。彼は、痛い胸をおさえて必死の思いで二人の子供を載せて車を走らせて帰り、手術に間に合ったのであった。
 術後はPPTとして個室に入り、何本もの管が彼女を取り巻いていた。でも彼女はしっかり事の一部始終を説明してくれて、何度も何度も助けて貰っていることを詫びつつ感謝の言葉を忘れない。昔、30年ほど前、私達家族がパリに在住していた時、彼女はまだ高校生であったが突然悪夢が襲ったことがある。大変な腹痛に苦しみ、慣れない環境の中で入院させたがこの時も夫は国際会議でウイーンに出張中で留守であった。この時は悪い食中毒が原因であったらしい。
 そして、今回の入院騒動は腸閉塞という激痛が伴う病気とわかり、それももうすぐ11歳になる長男を出産した時の帝王切開の影響も考えられるとのこと。彼女は二度の出産で両方ともお腹を切っているので、これで3回切ったことになる。何とも痛々しい経験を重ねたことになる。それでも彼女は表には悲観めいたことは一切言わない。実は昨年の6月末には乳がんが見つかって手術をしたところであった。結婚してからも助けて貰い続けていて申し訳ないと少し笑みを浮かべて感謝する。
 12日に手術してから18日には退院、その後22日まで週末を除いて2回ほど蘇我に行き、合計8日間ほど私は孫達の面倒を見ただけで、彼女は順調に回復してくれた。何せお腹を切っているだけに、食欲が戻り、普段の食べること大好き人間に戻るまで時間がかかるかと思いきや、実に順調に回復していき、体力も戻ってくる兆しが見えたので私は日光の自宅に戻ることが出来た。その間、私の外せないスケジュールの為に、代わりに夫も駆けつけて孫達の面倒を見てくれたのはありがたかった。
 その間、子供たちはそれぞれ毎日の小学校、幼稚園生活が続けられて本当に良かった。
退院してから娘とじっくり話も出来た。「お母さんの今後の夢は何?」から始まった会話が本題につながる。
 夫が現役時代は職業柄、公には夫のサポート役としてやることも多く、子育て教育をやりながら、国内外20回近く引っ越しを重ねながらの歩みは、ただただ健康管理と環境管理に専念してきたつもりである。夫が退官したのをきっかけに子供達に贈る記録としてそれまでの自叙伝を書いた。「外交官の妻として・・家族と共に歩んだその世界」というのがタイトル。これは私の無二の友人、ローズマリーにも読んで貰いたくて、英語版も作成した。それは今読み返しても家族と共に歩んだ歴史が鮮明に蘇ってきて、我ながら、良くぞ書けた記録本だと誇りを持っている。後期高齢の時期に入って、忘れる前にこの作業が出来たことに今では感謝している。
 ところが第二の人生に入ってから、まだまとめ作業にかかっていない。夫の地元に居を定めてから、地元での活動を模索しながらネットワーク広げに勤しんできた。趣味を楽しみながら、でも、人様に喜んでいただける何かをしながらの人生。単に消耗するだけの人生にしたくはないとの思いで今流にサイトに記録を残しながら、友人と共有共感しながら今日まで来ていた。そういうタイミングで、病み上がりの娘からのこの問いかけに思わぬ衝撃が走り、光が射してきたのを感じている。
 「源氏物語原文分解分類法」という本を初めて手にした。娘の小中学時代の親友同級生が出した本である。娘は小学四年生から中学二年一学期まで東京越中島の公立校に通っていたがその当時の三人娘の一人であった。従って、私にはあの可愛らしい少女時代の一寸おとなしそうな美子ちゃんというイメージ以上のものは無い。その後、私達がもう20年前になるがブルネイに赴任していた時、社会人となっていた娘が、美子さん(慶應を出て、間もなく結婚して主婦業に専念)、もう一人の潤子さん(彼女は芸大を出て主婦業をしながらお琴の演奏者になっていた)を連れて昔の三人娘になって遊びにきてくれたこともある。その後、突然のこの本の出現である。娘自身この本が送られて来た時、本当にびっくりしたそうである。あの美子ちゃんがこんな本を出すなんて。独学で極めた本。後世の日本人に向けた紫式部の思いを追求して辿り着いた結果を心の宇宙の物語として世に示したのである。千年の時を超えて、日本文学の傑作であり、聖書のような源氏物語。ただの色恋物語ではないからこそ普遍的名作品であり続ける。「日本人の皆様、源氏物語原文を読まずに死に逝かないで下さい。」というのがまず最初に書かれている。彼女の切実な訴えのような文句である。「女読み」と言われる源氏物語現代語訳を読んでいた彼女自身のお母さんが、源氏物語を恋愛小説の視点で解釈されていることに疑問を持たれたことが動悸になっているよう。お母さんの源氏物語原文との格闘が始まり、その後姿を美子さんは見ながら生きてきたとも言っている。10年ぐらい前に、紫式部が執筆していたという蘆山寺を母娘で訪れた時、お母さんが廊下に座り庭を眺めながら、おもむろにこう言われたそうだ。
 「お母さんね、源氏物語がわかったのよ。もう、いつ死んでもいいわ」と。
この悟りを開いたような文言に私は衝撃を受けてしまった。こんな言葉があるという事自体が驚きだった。内面の達成感というのか、生きてきたことへの感謝というのか、余りにも静寂な無の境地をこの一言はそつなく言い当てている。美子さんのお母さんを私も昔会っているので少しは知っている。とてもおだやかで謙虚な物腰の方であった。お嬢さんが娘と一緒にブルネイに来て下さった時も後からお礼状もいただいている。身近にいた人達がこのようなライフワークを手掛けておられたことに大変な刺激をいただいたことになる。東北大震災の経験から、多くの人が真剣に思い始めたこと、それは ”今やらなくては!” という作業興奮のスタートである。美子さんもこれが引き金になって作業が始まったとも言及している。
 「もう、いつ死んでもいいわ」と言える境地、「まだまだ沢山やりたいことがある」という境地、この間(はざま)にいて具体的な夢をみつける糸口が今見えてきたように思い始めている。人生、何がきっかけで新しい行動が生まれるかわからない。これは生きているからこその新しい動機との出会いでもある。今の思いが萎えないようにと心の記録としてここに綴っておくことにした。 2018年2月25日 深夜

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