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2018年5月12日土曜日

春の叙勲 Conferment of the Order in spring 2018年5月10日


 本日、外務省にて春の叙勲外交分野での伝達式が行われ、約30名の方達が殆んど配偶者の方同伴で河野外務大臣より瑞宝中綬章の勲記と勲章を授賞されました。夫もその中にあり、配偶者として私も同席させていただきました。その後、皇居にて天皇陛下のお言葉を賜わりました。皇居には各分野ごとに別々の所で伝達式を終えた方々が一斉に集合されて総計約600名ぐらいおられると伺いました。皇居で一番広くて、あの中村岳陵画伯の原画「豊幡雲」がつづれ織りの中に見事にホール全体を覆うように広がった豊明殿に入り、整列して陛下のお出ましをお待ちしました。侍従、侍従長に護られて入場された陛下は、「皆様が長年に渡りそれぞれの分野で国のため、社会のため、さらには人々のために尽くされ、こんにちの栄誉を受けられた事を喜ばしく思います。これからもお体を大切にして元気に過ごされることを祈ります」という趣旨の祝辞を述べられた後、中村岳陵画伯の品の良い、優美なやまと絵のつづれ織りがひろがる大ホールの中に居並んだ受賞者の周りを笑顔で一巡されました。

 これも今日まで長きに亘り周りの方々からいただいた温かいご支援のお陰と、改めて感謝の思いを持つ貴重な機会をいただくことが出来ました。

 振り返れば、夫はアメリカ研修からスタートし、最初の赴任先はカナダの日本大使館。そこで私達は結婚し、外交官の人生が始まりました。その後、インドネシア日本大使館、ニューヨーク日本総領事館、クウエイト日本大使館、パリOECD日本政府代表部、ニューヨーク国連日本政府代表部、ブルネイ日本大使館、ノルウェー日本大使館勤務をし、38年間、日本と海外を行ったり来たりしながらの移動の多い人生でしたが、健康に恵まれたおかげでここまで辿り着くことが出来ました。異なる環境の中で、常に日本の為に尽力してきた夫の側にいて、夫がこの栄誉を拝受したことに私自身も感謝の気持ちで一杯になり、感無量でした。夫が退官したのを機に、初版は2005年11月3日に、修正再版を2008年5月30日に、「外交官の妻として・・・家族と共に歩んだ世界」と題した自叙伝的な本を作製していましたが、今回、この作業が出来ていたことにも今改めて感謝の気持ちで思い出している次第です。

 今回のこの祝行事に参列するために前日に市川に住む次女の所に寄り、当日はそこから車で霞が関に向かいましたところ、首都高速の酷い渋滞は予想外。大雨に見舞われる中、一向に進まない車の中での二人のあせる気持ちは相当でしたが、早めに出発したおかげで、無事時間前に到着出来ました。玄関に立った時に遭遇した地響きを呼ぶ大きな雷は緊張感に拍車をかけましたが、そこで、何人かのOB同僚の方々にお会い出来てようやく我に返ることが出来ました。会場での旧知の同僚の方との雑談は懐かしく、リラックスすることが出来ました。

 今回は次女の家族にすっかりお世話になり、お婿さんの腕による美味しい料理でのディナーが又思い出深いものになりました。娘は急に私の保護者になったかのようにあれこれ世話役に回り、自称マネージャーとしての本領を発揮してくれました。大助かりでした。小六と年長の孫息子達もそれぞれ今までにない祖父母のいで立ちに何かを感じ、印象深いものとして思い出に残ることと思います。

 以下、この娘のSNS投稿文を載せておきたいと思います。長女、長男もそれぞれにサポートしてくれたことに感謝しています。

My Dad received The Order of the Sacred Treasure, Gold Rays with Neck Ribbon today. Congratulation on your special day, Dad and Mom! I'm so proud of you!
本日、父が 瑞宝中綬章を受章しました。
父は長年に亘り外交官としてインドネシア、アメリカ、クウェイト、フランス、ノルウェーを始め、日本との外交に尽力してきました。
そんな父は小さい頃の私にとっては厳しく近寄り難い存在でした。
と同時に、仕事が多忙で時間が限られている中、子供達と交換日記をしてくれたり、節目節目に真剣に向き合ってアドバイスをくれた父の深い愛も感じてきました。どんな環境でも揺れ動かず根を張る大樹のような存在でした。
母はそんな父と共に幾度の転勤を重ね、外交官の妻として父を支え、新しい環境の中で子供達が順応できるようベストな教育、環境作りに奔走してくれました。子供達が受験の頃には家族がばらばらに生活する時期もありましたが、母は期間中、海外と日本を行き来し、そよ風のようにそっと子供達に寄り添ってくれました。私には到底真似のできない事です。
*父=大樹 母=そよ風 という存在が、後に「大きな木とそよ風と私」という曲を作るきっかけとなりました。
何より父母のおかげでこの世界には多様な人々、言語、文化、宗教があることを知りました。
父母の志に私もいつしか「子供達を海外と繋ぐ架け橋となりたい」という思いを抱くようになり、今の仕事(小学校の外国語活動指導員)に携わる原点となりました。この記念すべき日に父と母に改めて感謝します。
お父さん、お母さん、本当におめでとう!!      2018年5月10日


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