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2019年3月6日水曜日

携帯紛失大騒動



I Phone 紛失大騒動         平成3135



いつになく私の携帯に非通知通話が入る。最初は取りそこなったのもあってそのままに。二度三度とあったが非通知と表示されたので取ったらまずいかもという警戒心からそのままにしていた。そして外出先から夕方戻ってほどなくして固定電話が鳴った。子機には先方の電話番号が表示されないのでつい取って応答するとそれは夫からだった。何故固定電話に?と思う間もなく、「何度も携帯に電話したのに・・携帯を無くした。電車の中で居眠りして目が覚めたら手にしていた携帯が無くなっていた!」

 心臓が破れそうだった。三つも四つも案件をかかえている夫にとって連絡が出来なくなるのは大変なことだからである。午後、東京に向かう電車の中での出来事。新鹿沼あたりで気が付いたらしい。前の座席に学生が座っていたが、目が覚めた時には彼は居なかった。もしかして・・疑っても仕方がない。北千住駅で報告して検索してもらっても落とし物預かりには無い。ここから私との非通知通話が始まったのである。夕方6時頃だった。

 携帯を追跡するための知恵を絞り、公衆電話からの交信を逐次やりながら夫は東京に行った目的を果たすべくノルウェー大使館へ。その間、私は警察に急いで紛失届の報告をやり、ソフトバンクの店に駆け込んだ。スタッフはなすべき方法を一緒に考えて実に親切に対応してくれた。本人でないとアクセス出来ない店の電話のおかげでとりあえず紛失した携帯の機能にストップをかける手続きは出来た。あとは今どこに携帯があるかを会社の方で検索可能だが本人でないと暗証番号等あって不可能。夫に連絡が取れない状態で私のパニック状態はどんどんエスカレートする。時間的にオフィスは締まっていると知りつつ誰かいて欲しいと祈る気持ちでノルウェー大使館にダメもとで電話を入れた。録音テープが英語で緊急の番号を教えてくれたのでその番号を押した。すぐ英語での応答が来たので、事情を話したらここはオスロだという。えっ?!こんなことで国際電話になったことにショックを受け、あわてて謝って電話を切った。夫からの連絡を待つしかない。この後、東武駅に行ってネットシステムから検索して貰ったがそれらしきものは無かった。

 その夜、夫は新宿の携帯を買った店に行き、いろいろ相談し、進捗状況を交信。新しく携帯を買うかどうか迷っている様子。もしかしたら出て来るかも知れない。もうちょっと待つべきだとも。ショックとジレンマで夜は悪夢ばかり見た。夫は多摩の家に。

 翌日、何も出来ないまま、私は週一の日光彫サークルへ。仲間に前日の出来事をしゃべるだけでも胸が楽になる。間もなく夫からソフトバンクの店の番号で電話が入る。店の方で携帯のあり場所を検索した結果、M町、3㎞以内の範囲にあるという。携帯機能のブロックも解除したとのこと。それを知ったサークル仲間の何人かの東武電鉄のOBがいろいろアドバイスをくれた。M町ならM駅。でも無人駅だから・・多分新鹿沼駅が管轄だからそこに連絡してみてはどうだろう。あそこには発券を委託したA店が駅の前にあり、昔同僚だったことも話してくれた。すぐ新鹿沼駅に連絡。事情を把握してくれて動いてくれる様子が電話の向こうにあった。

 そしてサークルでの作業を終えて帰宅すると、留守電の番号が鹿沼番号であることに気づき、すぐ折り返し電話をすると新鹿沼駅からだった。何とそれらしき携帯がM駅前のそのA店に保管されているという。思わず、暗いトンネルの向こうに神々しい光を見つけた心地に。そのいただいたA店の番号に電話して更なる確認のため、Aさんの側に置いてある夫の携帯に電話。Aさんが電話に応答。間違いなかった!地獄から天国への勢いで私はM駅前のそのお店に向かって車を走らせた。こんなに生き生きと弾む気持ちで運転したのは初めてである。沈み込んでいたこの2日間が手を翻したような最高な気分に大変身。しかし、携帯はどういう経路でA店に辿り着いたのだろうか。

 小一時間で目的地に到着。Aさんご夫妻はA店を経営しながら老後の生活を送っておられる様子で静かな物腰。委託されてM駅を管理されているようで、前日の夜、店を閉めてから8時頃に駅に掃除をしに行かれた時、電話ボックスのような乗車券証明機の横に携帯があったそう。忘れ物を見つけてはお店の方で保管されているのだろう。その流れの中で夫の携帯も保管されたというルーティンなことなのかも。私の全身全霊での喜びと感謝の気持ちに比して、Aさん夫妻はいたって冷静そのものであったことからそれが伺える。丁度、家を出る時に夫からその後の進展を探る電話があった時、「あったよ!今Mまで行く所!」の私からの一言に「うわー!本当?!凄い!」と喜びの奇声を上げていたが、ともかく、めでたく解決したことに感動するばかり。

 帰路、どういう経路で携帯が電車の中からどこをどう辿ってあの駅の乗車券証明機の横に鎮座することになったのだろう。紛失に夫が気がついたのが昨日の午後3時頃。Aさんが気が付いて店に保管したのが昨晩8時頃。5時間ほど、どこでどうさまよっていたのか。一度持って行った人が持ち主の心情を計って最後には情けをくれたのか。防犯カメラが設置されているので追跡すれば映像はあるだろうが私としてはむしろ最後の情けに感謝するだけでいいと思っている。Bad fortune turned to good fortune ! Crying face turned to smiling face.



 それにしても災難続きの33日、4日、5日であった。

 3日は蘇我組が週末に来てくれて、先ず孫No 2の中学受験クリアのお祝い、妹の孫No4の卒園と小学校入学お祝い、タイミングに乗じてお兄ちゃんの方の誕生祝い、そして全員でスキーに。23日の短時間を賑やかに楽しく過ごした後の一連の騒動だった。それは彼らが帰路についた後に始まった。楽あれば苦あり状態。夫の側溝への突っ込みでJAFのお世話に。翌日は携帯紛失騒動、更に翌日には私の不注意で車がバッテリー消耗状態でJAFのお世話に。・・しかし、夕方朗報に辿り着く結果に。苦あれば楽あり状態。人生は正に陽陰、アップダウン浮き沈みありで生きている。      36日 朝8

 

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