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2021年11月12日金曜日

11月11日 益子の西明寺を訪ねて

 11月11日(木)久しぶりに益子を目指しての一人ドライブ。天気に恵まれ、道中の紅葉を愛でながら119号線→宮環→123号線→41号線経由で1時間半。道中、道端の野菜販売店で初物と言われたイチゴを購入。今日お見舞いに伺う10日前に大手術をして退院したばかりの友人のことが頭に浮かぶ。日光街道は四季折々、なかなか風情があってドライブには丁度良い。宮環を出て益子に向かう123号線の田舎の風景も楽しめる。ただ、益子に入ってから、いつも道が定かではなく、何となく回り道をしてしまう。益子の町は複雑に思えるのは私だけなのか。結果的に、目的地に無事到着しているから、良しとしよう。

今回はワーグナー・ナンドール アートギャラリーでまず牧子さんと落ち合った。去る10月29日に、ワーグナー・千代夫人が亡くなられたとの訃報に驚き、今開催中の秋季展覧会でお会いできることを楽しみにしていた矢先だったので、ショックを受けてしまった。せめて遺影の前でご冥福を祈りたかったのである。3年前、2018年11月18日、丁度ワーグナー秋季展覧会を終えた後に千代夫人も我が家での紅葉を愛でるBBQパーティーに参加して下さった。あの時は我が家の庭での集いに現生を忘れたかのような、くつろぎを感じたとおっしゃっていただいた。今思うと、今の私の年齢があの時の彼女の年齢だった。人生長いようで短く、短いようで長い。時は一時も休止せずに一歩一歩前へ進む。感謝しながらその一歩一歩に歩調をうまく合わせて進みたいと改めて思う。

さて、アートギャラリーを後にして、友人の由記子さんをお見舞いに。好天気が幸いして、まだ術後で痛々しいご様子だったが、ベランダまで歩いて出られて、体調の様子、近況をいつもの語り口で話されて、一寸安堵した。娘さんが近くにおられることが何よりだと本音を吐かれて、家族のありがたさが垣間見えたことも良かった。長居を避けて、10分程度で失礼したが、それでも彼女にとっては大変なエネルギーを使われたに違いない。一日もはやく良くなられて、精力的に陶芸の仕事に復活していただきたいと願う。

今回は牧子さんが私を西明寺の田中貞雅さんに紹介して下さることになっている。西明寺の存在を知ったのは先日の日光清風塾での武内孝善先生の講話からであった。地元のことを余りに知らなすぎる。空海が8世紀に中国で修行したお寺が西明寺。同じ真言宗の寺として同名のお寺が益子にあることをお話から知った。その繋がりで、牧子さんのご厚意が実ったわけである。4年前にご主人(田中雅博前住職で内科医)を亡くされ、今は中継ぎとして現住職であり、やはり普門院病院(西明寺の境内)の医師でもある。慈恵医大で雅博との出会いがあったという。同じ志で、ターミナルケアにも力を注いでおられるとのこと。元韓国ご出身で、今は日本人として世の為、人の為に尽力されている素晴らしい女性である。境内にあるレストランで美味しいお蕎麦をご馳走になった。

ネット→益子町の郊外に位置する獨鈷山(とっこさん)。西明寺はその南斜面の中腹にあります。正式名称は「獨鈷山普門院西明寺」。真言宗豊山派に属し、本尊は十一面観音菩薩。

2017年のニュースから→「僧侶兼医師として終末期医療に仏教精神を取り入れることを提唱し続け、自らもがんに侵された真言宗豊山派の西明寺住職、田中雅博(たなか・まさひろ)師が21日、死去した。70歳。自坊は栃木県益子町益子4469。家族のみの密葬を行い、後日、本葬を行う。日程は未定。

 昭和21年生まれ。東京慈恵会医科大卒。国立がん研究センターで内科医として勤務後、父の死去に伴って58年に退職し、西明寺住職を継いだ。

 平成2年、境内に普門院診療所を開設。仏教精神に基づく緩和ケアに取り組んだ功績が認められ、ローマ教皇庁の招きで4度にわたり渡欧し、仏教者の立場から国際会議で講演した。

 26年には進行性の膵臓(すいぞう)がんが見つかり、闘病を続けながら、宗教者が布教を目的とせずに患者のケアに当たる「臨床宗教師」の育成に尽力。28年に日本臨床宗教師会の顧問に就任した。」


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