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2016年5月4日水曜日

シルバーカプルのキャンパスライフin 南京(2016年2月26日~4月29日

73歳、74歳のシルバーカプルのキャンパスライフin南京
                               平成2851
                               河合慶子  記
        
414日から震度7を超える地震に襲われて、九州が大変なことになっていることに胸が痛みます。犠牲になられた方々のご冥福を心からお祈り致します。何万人という避難されて不自由に耐えていらっしゃる方々の一時も早い復帰を祈らずにはいられません。

《スタート編》
 二か月が早いのか、遅いのか、とにかく、何とか無事に過ぎました。いろいろありましたが、やはり、
  この年齢になって、中国の南京市という異郷の地にあって、この不慣れな環境で生かされたことに感謝しています。老後に学生達とキャンパスライフを共にするなんて想像もしていませんでした。彼らのエネルギーに圧倒されながらも、魅力を感じ、励まされながらの二か月でした。言葉の壁は何とも難く、最初の1か月は悶々としていました。それを過ぎるとケセラセラの心境に。今では急がなくってもいいじゃないの。まず、好きになって、楽しく続けることだと開き直っています。

平成28226830分羽田発、北京経由のCA1561便で南京に夕刻到着。日本語学科の部長李先生のお出迎えを受ける。夫はこれで5回目の南京行き。2012年春(平成24年)の二週間の滞在からスタートして、翌年には一か月になり、更に、半年になり、昨年は一年になった。今回は夫婦で二か月のキャンパスライフとなる。私は、3年前の6月末に一度、このキャンパスを訪れたことがある。夫が担当授業を終えた段階で合流して帰国前に敦煌旅行を計画し、実行した。従ってキャンパスを見るのは二回目であるためか、何かなじみのある場所に来たという印象を持った。

宿舎に到着するとこの冬の二月に日光ホームステイ交流プログラムに参加した学生を引率した仇先生、三年生のイさん、が出迎えてくれて、一年前と同じ宿舎に落ち着く。夫が残して行った荷物が一気に運び込まれ、とりあえずの生活がスタートすることになった。
 昨年、夫が一人で一年間滞在しただけあって、最低限の生活必需品はすでにある。シャワーもついていてお湯は出る。トイレはひと昔前の洋式トイレながら、水洗なのでこれは予想以上でありがたい。小さな厨房には電気コンロがあり、水道もあるが、お湯は出ない。まだ季節は冬なので水は冷たい。ゴム手袋を使えば何とかしのげそう。小さい鍋が一つ、フライパンが一つ、調理器具らしきものは包丁、まな板と少々の食器、グラス程度。基本的に主婦として毎回の食事の準備が出来る態勢にはなっていない。寮の目の前には大きな食堂があり、朝、昼、夜と利用出来るというのがありがたい。しかし、これは、次第に自炊化して行くことが予感された。

《キャンパス描写》
 中国伝媒大学南広学院が正式名の生徒数12,000をかかえるこの大学には、異なった分野の学院が10個ぐらいあり、南広学院の傘下にある。映像、アナウンサー、デザイン、メディア関係、日本語学科、韓国語学科、フランス語学科、スペイン語学科、ドイツ語学科、英語学科、中国語指導学科などがあり、グローバル化していく時代を反映して10年ほど前に設立された大学である。これまでに今や第一線で活躍するアナウンサーや女優も出ているという。

大学の性格上、キャンパスは大変ファッションが鮮やかであり、イケメンも多くいる。女子学生は殆ど全員と言っていいほど、黒いロングヘアーをなびかせ、ジーンズを飛び越えて今や、スパッツタイプのタイツ姿である。脚の線が丸出しであるにもかかわらず、それがセクシーという感じではなく、以前のズボンの感覚になっているのが不思議なくらいだ。ミニスカート姿はごくまれである。男子学生は細いズボンというのか、むしろ、清楚な服装が多い。キャンパスのファッションは女性っぽさというより、可愛いというイメージである。コスプレの学生もちらほらいる。逞しいというより、きれいな男子学生が目立つ。まさにイケメンの世界である。そして、カプルが多い。手を繋いで仲良く教室に向かう姿は男女の世界というより、幼い子供同士という感じがする。とにかく、おしゃべりが活発である。聞くところによると、彼らはこのまま結婚にゴールインするのはごくまれで、殆どがキャンパス内で終わってしまうようである。
 この大学は南京市の東南に広がる学園都市の一角にあり、外部の人が入ってこない環境もあって、キャンパスはしっかり守られている。警備がしっかりしているというのではなく、学生の置かれる環境が健康的だと言えるのかもしれない。全寮制で、教職員にも従業員にも寮があてがわれる。食堂は3階建ての大きなのが二か所あり、いろいろな店が入っていて、学生、職員、従業員(寮のビルは50棟はありそう)、清掃スタッフなど、もろもろの学校関係者達の胃袋を満たしている。構内の外れに一寸した賑わいを見せる所があるが、映画館とか酒場とかゲームセンターとか、いわゆる遊技場らしきものはないが、立派なカラオケボックスはある。カラオケボックスに一度行ったことがあるが、最新の技術を使った、立派なボックスであることに驚き、日本の歌もかなりあった。
 キャンパス自体はアメリカ風と言えるほど、整然として広々としている。木々や花々が沢山植えられ、何より目を疑うほどの広大な芝生ゾーンがキャンパスの中央に作られているのには驚嘆した。これは多額な出費をしてドイツから輸入した芝生とのことである。特に、中に入ってはいけないなどという注意書きがあるわけではないのに、学生は教室への移動の時に、誰一人ショートカットして芝生ゾーンを歩く者はいない。芝生は他の木々と同様、良く手入れされて美しく管理されている。そんな中で、一つ残念なのは、10mくらいの間隔で設置されているゴミ箱がいつも溢れて紙屑が周りに散らかっていることである。小さな段ボール箱類とペットボトルの類が多い。後で、徐々にわかってきたが、箱類が多いのは学生がいかに多くのネット販売を利用しているかということ。更に、キャンパスには猫達が沢山住みついているということである。猫達がゴミ箱の上に登って餌を探しているのを良く見かける。毎朝、ウオーキングをするようになってから、朝6時ごろには、清掃員が懸命に清掃している光景が見られるが、ゴミは後から後から溜まって散らかって来る。
 学生達が学ぶ授業棟が大きく3つに分かれ、46階建てである。1区、2区、3区という呼び方をしていて、2区が中央にあり、何か、議会場の風格がある。正面入り口の上には、(博学)、(敬业)(先)(立徳)といったスローガンが電子文字で常に流されている。それぞれの入り口には安静(静粛)、干浄(清潔)という字が大きく掲げられている。授業は午前中一時限(8 :008 :45, 8 :559 :40)、二時限(10:1010 :5511 :0511 :50)があり、午後は三時限(14:0014 :45, 14 :5515 :40,四時限(16:1016 :55,17 :0517 :50)というようになっていて、一コマ正味1時間半の授業である。各時限ごとに、始まる⒑分前にはクラシック曲が流れてくる。
各授業が始まる前に見られる学生達の大移動風景は圧巻である。一時限前には、食堂で食べる時間を節約して、ブレックファート用に、簡単な食べ物と飲み物を食堂で購入し、ビニール袋にぶら下げて教室に急ぐ学生の姿が当初多くみられた。授業中に食べる学生に見かねてか、一か月前から、「教室では飲食すべからず」というお達しが出されて、構内の広告版に大きくポスターが張り出された。それでも教室に持ち込み、トイレタイムの時に食べるといった具合である。

《授業がスタート》
 さて、私達の担当の授業は南京に到着した3日後の229日から始まった。事前に相談する時間も余り無かったが、とにかく、私のカリキュラムは決まった形式は無く、自由に、特に、発音をしっかりやって欲しいという要望であった。夫は英語を使っての授業で英語学科の学生を対象に、専門的となるが、私の場合は、日本語学科の生徒が対象で、1年、2年、それぞれ23,4人の二クラスを週二回ずつ担当。一回は二コマ。さらに国際教育センターの学生4人のクラスを週二回担当。従って一週間に6コマということでスタートした。

 中国人の名前を覚えること、顔と一致させることに時間がかかったが、彼らは名前を間違えられても気にすることなく、最初は大学生というより、可愛いい学童の印象を受けた。時間になると全員が起立して「先生、おはようございます!」と挨拶をする。遠い昔、小学校に入った頃を思い出すほど純粋で素直な雰囲気にまず驚いた。
 
一年生は日本語を始めてまだ半年程度で、ひらがな、カタカナは勿論、漢字も読めるほどになっているが、コミュニケーションがもう一つである。どうしても、媒体語として英語を使うことが多いが、極力日本語で日本語を教えるようにしたかった。ここで、私の中国語が使い物に出来たら、さぞ、やり易いだろうと思ったものの、今回はそれは不可能な話。彼らが使っている教科書をもう一度最初から復習することに軸を定め、発音の見直し、言葉遣いなどを中心にやることにした。彼らの進度具合を見ながら、時折、テキストに関連付けて日本の唱歌を一緒に歌ったり、日本の文化を中心に日本の姿なども紹介しながらであった。

彼らの関心はやはり日本のアニメである。日本のアニメには自由な発想が一杯ある。キャラクターが可愛いことなどが魅力となっている。授業とは別に、夫のイニシャチーブで有志による合唱団が育ってきているが、そこでも彼らはドラえもんの新主題歌となっている「ひまわりの約束」というのを歌っている。アニメを通して日本への関心が非常に高いことがわかった。アニメには夢があるのだろう。そして可愛さと優しさがあるのだろう。

各教室にはパソコンシステムが備え付けられていて、先生方はみんなパワーポイントを使用しながら教えている。黒板も勿論あるが、チョークを使うため、そこら中が白墨だらけとなる。私もUSBに作成した教材を入れて、毎回それを使いながら授業を進めることにした。
クラスには班長さんがいて、毎回宿舎まで迎えに来て一緒に教室へ行き、機械の使い方も教えてくれるし、コピー作りもやってくれる。これはありがたかった。

 2年生もそうであるが、男子学生は数人しかいない。しかも彼らはおとなしい。女子学生の方が元気があり、成績も良い。クラスでの発言も女子学生が活発である。二か月が経ち、私の授業が終わった段階で期末試験に相当する試験を行ったところ、やはり差があることがわかった。やる気がある生徒とそうでない生徒の差は大きく、大学生ともなると、全体のレベルアップを目標にするのは無理があろう。男子学生は欠席が多かった。一生懸命学ぼうとする学生にどうしても軸を合わせることになってしまう。説明をして、「明白」と言いうと「はーい!」と元気よく返事が返ってくるが、必ずしもそうではないことが後で徐々にわかって来る。

 更に、携帯i-phoneの王国である。辞書、筆記用具が無くても、携帯がすべてをカバーしてくれる。授業中も、わからない言葉は教師に質問する必要もなく、すぐ、携帯のソフトが解明してくれる。音楽も世界中のものが無料でダウンロード出来る。ネットで探して調べてくる前に、即、答えを探し出す技術を皆備えている。無料でテレビ電話も出来る。実家の親とは毎日携帯でお互いの顔を見て話しているという。おそるべき社会になってきていると思う。便利さを享受して時間の節約になる反面、辞書を引いて、書いて、覚えるという労力と努力が無くなる方向に流れていく。質問も答えもネット上で出来るのであれば、時間をかけて考え、想像する力が無くなって行くのではないかと思ってしまう。学生達のネットの操作、技術は高い。ネット社会を享受し、又、ますます、需要を増やして、ネット社会を発展させている。いろいろな情報も入手出来る。今回、帰国前にチベット行きの旅行を検討する時も、彼らから沢山の情報を貰った。

 自由な発想、想像力の養成という点で、教育文化の影響を考えてみたい。

私の中国語のテキストには各課の終わりに必ず一寸した格言のような文章が載せられている。一番最初に出てきたのが、好好学习 天天向上。毎日学習して日々向上というような意味だが、日本語の授業でニーハオしか言えない立場で、思い切ってこの格言を言い出そうとしたところ、全員が一斉に大声で斉唱した。これには驚いた。どのくらいの数がわからないが、後で尋ねたところ、小学校の時に、全部暗記させられるのだそうだ。立派な格言、李白などの詩も暗記している。日本で、算数を習い始める頃、九九を丸暗記させられるが、あれと同じである。
一か月が過ぎたころ、南京大学大学院での昨年の夫の教え子が二人、私達のところにやってきた。その時は、主として英語で会話が出来たので私も中に入って、いろいろ学業のこと、将来の事、教育のことなどどのように考えているかを彼らの話から垣間知ることが出来た。
やはり、中国では徹底した暗記の教育であることがわかった。小さい時の暗記能力には凄いものがある。その時期に、徹底的に理念を覚えさせるという教育である。彼らが暗記するものは、徹底した向学心を持たせるための格言であり、先輩、先生、親、目上の人を敬う道徳心である。スローガンが目立つのもその一つかもしれない。

彼女たちも暗記教育が文化になっていると言っていた。これは、その後、同じ日本語教師の間でも、異口同音に頷いていたことである。この教育が基礎となってそこから創造力が生まれるかどうかは別の話であるが、大学院生ですら、暗記教育の続きで、先生からの知識をとにかく享受するので、自分でものを考える訓練が出来ていない。従って議論もしないし、出来ないと言っている。先生の指導で選択をして方向が決まるところがある。親の希望で決めるところがある。つまり、自分の意志が持てない教育を受けて来ているということなのだろう。

 ここで更にそれを裏付ける経験をした。それは420日に行われた3分間日本語スピーチコンテストである。
 テーマは「一番の宝物」か「日本語を学んで得たもの」かのどちらかを選択。最終的には123年生の有志が13名ほど参加した。日本語学科で希望者を募り、スピーチ原稿を書かせ、先生方の指導である程度修正したものを私の所に持ってきた。内容とか、言葉遣いを見て欲しいという。彼女たち(男子学生は一人も参加せず。ただ、本番で、日本語での司会をやったのは3年生の男子学生であった。大変上手な日本語で、イケメンであることもあって好印象のパフォーマンスであった。)が書いてきたものは、内容はしっかりしたものであったが、表現力がもう一つで、かなりの手直しが必要だった。それをもう一度書きなおして、又、持ってくる。挙句の果ては、携帯に私が話すのを録音していった。

本番で、棒読みにならないよう、抑揚をつけて、息を切る所をマークして、何回も読む練習をする。聴衆をひきつけるようなプレゼンをするように、というところまでは指導したが、あとは、何回も読んで、自分のものにして話せると良いと思っていた。

ところが、直前になって、宿舎を入れ替わり立ち代わり訪れてくる。先生の前でやってみるので見て欲しいというのである。この意気込み、情熱にまず感動。そして、彼女たちは全員、丸暗記してきたことに更に驚嘆した。丸暗記すると、途中でつっかえた時に、頭が真っ白になる危険性がある。母国語であれば、内容を掴んでさえいれば、多少言葉遣いは変わっても何とか凌げる。しかし、彼女たちの場合は、それはますます窮地に追い込むことになる。

ところが、そこは彼女たちが訓練されてきた教育の結果である。本番では見事にやってのけた。自分たち自らが暗記を決断し、何回も何回も繰り返し練習した成果が見事に実った。
来賓として臨席した上海領事館の文化部長、当学院の副学長、学部長、主任、教師、我々夫婦の計8名が審査員席に座っていたが、彼女たちの努力に感動したのは私だけではなかったと思う。彼女たちの徹底した努力、情熱、エネルギーには本当に圧倒された。今回、この大学で日本語教師として経験した中で一番感動したことであった。

しかし、携帯に依存し、ネット社会にいる彼らは、次第に、自分の意識に目覚める時代が必ずやってくる筈である。既に、悩み始め、迷い始めている学生達は少なくないと主人は指摘している。表面だけを見るのではなく、良く話を聞かないと間違った判断をする危険があると。日本語学科の学生は、アニメを通して、日本の可愛らしさと想像力のある、楽しいストーリーに憧れ、日本に惹かれている。日本の文化に憧れている。それをより理解するために、日本語を勉強している。驚くほど素直で、思いやりがある。すべて授業が終わり、試験も終わってホットしたとたんに風邪を引いた折、班長が心配して風邪薬をよこしてくれた。この班長は毎回私を宿舎から教室まで付き添てくれた学生である。
 
 もう一つ道徳教育を身をもって実践している部分が見事である。バスでも地下鉄でも、どんなに混んでいようと、自分自身が疲れていようと、年配者を見ると、若者はすかさず、さっと席を譲ってくれることである。大丈夫だと言っても、絶対譲ってくる。見知らぬ我々に、迷いなく、さっと席を譲る。それも男女を問わず、すべての若者に徹底して見られる。これも徹底した道徳教育の結果であろう。

《学生達とのフリータイム交流》
 ウイークエンドに花見行きや山登りに誘うと半分が喜んで同行する。そういう時には家族の事なども正直に話してくれて、親子の繋がりの大きさがよくわかる。学生は広い中国のあちこちから来ている。年に1,2回しか帰省出来なくてウイークエンドには親の所に簡単に帰れない学生は私達の誘いに喜んでやってくる。台所の設備が整っていない中で、てんぷらとカレーの食事会を宿舎でやったり、いつでもコートが使えるテニスをやったり、週一回は夜、合唱の練習まで指導。日本語と中国語で歌える歌のレパートリーを増やしている。

 更に、優秀な学生から中国語のレッスンを受けるというアドバンテージを開拓。すべて、夫のイニシャチーブによるもので、私は夫のエネルギッシュな行動力にも圧倒された。コンピューターに詳しい学生を見つけて、コンピューターの技術を教わったりもする。学生から沢山教えてもらっていると常々言っていることがよくわかる。これほど、教師と学生が仲良くやれる世界が他にどこにあるだろう。

 老夫婦が揃って、こうして老後に現役でキャンパス生活を実現するなんて、思ってもいなかった。学校側から私も招聘を受けた時、最初は渋っていた。しかし、今回は、夫の若い中国人学生達との交流に対する熱意にやっと目が覚めた思いで同行を決断したのである。夫が
「やりたいことが一杯あって、後、200年は生きる必要がある」なんて発言した時は、大爆笑しながらも、冗談とは思えず、思わず頷いてしまった。
 

《最後に》
 ようやく春の兆しが見え始めた3月も末の30日から早朝ウオーキングを一人で始めた。
最初は梅の花が、キャンパス内のある一角で控えめに咲き、やがて、桜が誇らしげに咲きはじめ、モクレンが満開になり、それが八重に移り、藤棚の藤の花が美しく垂れさがる季節に移行。季節の花々がこのキャンパスでも十分楽しめた。(勿論構外にも出て、街中の桜の名所にも行くことが出来たが、どこも大勢の花見客で大賑わいだった。観光客は中国人ばかりと言う印象だった。)
 早朝ウオーキングをしてキャンパスの様子がもっと見えるようになった。キャンパスを維持管理する従業員の早朝からの働きぶり。木々の剪定をする人達、清掃をする人達、ゴミ箱の収集をする人達、学生、職員から携帯で注文を受けたプラスチックの容器にいれた食事の出前を忙しく配達して歩く人達、さまざまな人達の活動が見える。6時から運動場でアナウンサー志望学科の学生の授業も始まっている。教師もいて、発声練習をやっている。最初は、救急車が来ているのかと思った程だった。クリアに大きな美しい声で話す練習をしている。これには、大変驚いた。個人で練習をしている人もいる。いわゆる朝練という感じ。与えられた課題をわき目もふらず、真剣にやっている姿は本当に美しいと思った。もろもろの姿を眺めながら、運動場の脇にある小高い丘の上に登ってラジオ体操とストレッチを毎朝やっていた。


 最初の一か月は寒かったことと、中国語の壁で悶々としていたが、このウオーキングのおかげで気持ちが平穏になり、それこそ、SNS上で知った、「和顔愛語と報恩感謝、そして行雲流水」をモットーに毎日、自分に加油!と声をかけながら2か月を無事、終えることが出来た。

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