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2021年9月7日火曜日

パラリンピックも予定通りに閉幕(2021年9月5日)

 2021年9月5日(日)

 いろいろ問題を抱えたままTOKYO2020が開催され、無観客で繰り広げられてきたオリ・パラでしたが、始まってしまうと、コロナ禍で自粛生活を余儀なくさせられた一般国民は、メディアを通して、テレビ観戦を通してだけ、この特別な世界スポーツ大会の様子を知ることになった。スポーツ大好き人間の私は、毎日、殆ど一日中、テレビの前で、熱狂的にアスリート達を応援した。子供たちとラインでコミュ二ケーションを取りながら、子どもたちと同じ目線になって興奮した。手を叩きながらの観戦であった。人間の肉体的限界はどこにあるのだろうと思うほど、WRはどんどん更新されていく。真剣さ、とその努力に感銘しまくりであった。特に、パラリンピックでの感動は凄かった。科学の進歩と人間の能力のコラボには驚嘆せざるを得ない。一人のアスリートにそれぞれの環境があり、多くの人が拘わり、チームとしての闘いである。人間が時代を進歩させ、時代が人間を進歩させている。総合芸術ということばがあるが、今回の大会をじっくり観て、スポーツも総合芸術であると思うようになった。逆境を乗り越えた水泳のパラアスリートの言葉が胸を打つ。パラリンピックで金メダルを取った時、一人の少年が近づいて彼に言った言葉がある。健常者のその少年は、「あなたのようになりたい。なるのが夢です」と言ったという。又、砲丸投げの金メダリストは一番大切なものは何かと訊かれて、「僕の両親です」と答えていた。そこには感謝の心しかないのである。アスリート一人一人にはストーリーがある。そのストーリーを理解してこそ、彼らの凄さは一層凄いものになって、人々に感動を与える。

 オリパラが完全に終わって、聖火が消された時は寂しさを感じながらも、何か、清々しい気持ちであった。日本の最先端の技術を駆使した映像が、多様性の調和と平和の連帯性を世界中に流したと信じている。

 ボランティアとして選手たちの傍で活動した娘夫婦も、全てが終わってオリ・パラロスになるほど、やはり、貴重な体験をした様子。以下紹介したい。

 <オリンピック・パラリンピック大会ボランティア回顧録>康子の投稿より

 幕張メッセでのオリ・パラの大会ボランティアに7日間参加しました。シフトは前半は早くて朝7amから、後半は遅くて22:30までのシフトでした。 オリンピックでは、テコンドーの競技コート内の競技者のミックスゾーン(メディア)へのご案内。

 パラリンピックでは、車椅子フェンシングと、ゴールボールのプロトコルチームに所属。(主な役割としてIOC(国際オリンピック委員会)、NOC/NPC(各国オリンピック・パラリンピック委員会)、競技団体、王族、政府首脳などの要人を受け入れて様々なサポートを行う語学を使ったボランティアを担当しました。

(バッハ会長や、元柔道金メダリストで元JOC/日本オリンピック委員会会長とお会いすることができました。)

 夫婦共に初めての国際大会のボランティアでしたが、与えるより受けることの方が多かったと思うほど貴重な経験をさせてもらい、一生忘れられない思い出ができました。

  ボランティアでご一緒した方達は、素敵な方達ばかりで、老若男女を問わず親しみやすく、外国の方に笑顔で接したり、試合に勝った選手の現地の言葉を調べて「おめでとう!」と声を掛けたりと皆前向きで積極的で、とても刺激を受けました。(English&Frenchの語学ボランティアの腕章をつけている学生さんもいました)

  もうすでにオリ・パラロスです。

オリ・パラボランティアを通して、11の世界の方々との交流が世界の平和に繋がっていくんだろうなぁと実感しました。また機会があったら夫婦でボランティアに携わりたいです。

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