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2012年4月14日土曜日

三毛子 (11)

三毛子 (11)

 昼間留守にしていたおかあさんが帰ってくると、必ずわたしはおかあさんに駆け寄った。しっかり抱いて貰って安心する。猫だってやっぱり長く一人でいると狂おしくなる。おかあさんの膝の上で嬉しさから喉をゴロゴロ言わせながらくつろぐひと時は至福の時であった。
 ニューヨークには、日本からもおねえさん達がそれぞれやってきた。下のおねえさんは大学生だったので、一年休学してニューヨークで留学した。上のおねえさんは、おとうさんの田舎の親戚を連れてやってきた。義母と二人の義姉と孫だったが、この義母は当時、八十六才であったが、足は強かった。どこでも歩けた。以前、私がまだ生まれる前、河合家はパリに勤務したことがあるが、その時、このおばあちゃんは初めて海外旅行した。やはり、一緒に住む義姉が一緒にパリに行ったそうだ。七十八歳だったと聞く。パリのシャンせりーぜ通りを健脚でよく歩いたそうだ。観光ならニューヨーク、パリというのが日本では定番だったのだろう。パリに息子がいるのだから大決心で飛行機に乗ったようだ。わたしもニューヨークに来るときのあの空の旅は不安だった。そしておばあちゃんは今度はニューヨークへ。その時、おばあちゃんは八十六歳という計算になる。

日本からの泊り客がいる時は、わたしも落ち着かなかった。特に田舎の孫はまだ幼稚園に行っていたぐらいだから、うるさくわたしに付きまとってわたしのペースが随分乱された記憶がある。わたしは玩具にされるのは苦手であった。自分のペースで付き合える程度の相手が理想である。その点、おかあさんはわたしにぴったりだ、つかずはなれずの関係だからこそ、この自分史を書いている二十歳になった今でも、自分を失わないで強く長く生き続けられている。
 
アマーストからおかあさんたちの無二の親友であるローズマリーとディックもやってきた。わたしは初めて会ったがおかあさんが二十八年前、まだアマーストで学生だった時、二年間もかれらの家族にホームステイしたのだそうだ。彼らも猫を飼っていて、やはり、べったりではなく、あっさりと、でもハートのある付き合い方をしている様子だった。類は類を呼ぶなんて生意気なことをいうようだが、猫だってそれはわかる。おかあさんたちがアマーストに行った時、わたしも行ってみたかったが、残念ながら、わたしは一人で留守番だった。四、五日の留守は誰のお世話にもならないで、何とか出来た。今思うと、このころから、わたしにはそういう運命が待っていたのかも。日本に帰ってから厳しい猫人生が待っていたのである。 

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