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2012年4月22日日曜日

三毛子 (15)

三毛子 (15)

成田の税関も問題なく、するりと出られた。もう日本語の世界。といってもわたしには関係ない話。わたしはとにかく一刻も早くバスケットから解放されて、自由になりたかった。 

成田からは車で多摩へまっしぐら。あたりは暗かったから、夕方から夜にかけて到着したように思う。おねえさんが一人東京にいる筈だが、その時は都合が悪く、多摩のアパートには誰もいなかった。多摩を出た時と同じ所で、わたしはすぐ思い出した。一歳半でニューヨークに行ったのでもう四歳だ。メゾネットのたたずまいは特殊で最上階のアパートの中は、実は、三階になっている。階段が二つあるのである。この階段が記憶の中にあり、わたしは階段を上がったり下りたりして自分の住まいに戻った感触を確かめていた。やったー! 自由だぞ!って感じで。

次の朝、ニューヨークを出発する前に起きたことが又起きた。お母さんが腰が痛くて動けないのである。重いスーツケースを運んだのがいけなかったのだろう。すぐ、近所の整骨院に這うようにして行った。今度は漢方の針灸治療ではなく、電気じかけの治療だったようで、すぐには治らなかった。帰国して忙しい時に、何度か通院して、徐々に治っていった。おかあさんは以後、重い荷物は持たないように自分で注意するようになった。

日本での生活がスタートしたかに見えたが、おとうさんとおかあさんはそれから三か月して今度はブルネイという東南アジアの国に行くことになった。

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